暴力を振るう旦那と離婚して、アパートを借りた。 旦那は酒癖が悪く暴力を振るう人間だった。 あの日も殴られ蹴られ、産まれたばかりの赤ん坊を抱え、身体一つで逃げ出した。 離婚を承諾させるまで、部屋を借りるまで苦労したが、ようやく生活の基盤が出来た。 娘とのアパート暮らしも半年が立ち、それなりに充実して楽しい日々を送っていた。 「ピンポーン」 そう、このインターホンが鳴るまでは…
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インターホンに返事はしないようにしている。表札も出してはいない。 抱いていた娘に声をかけてベビーベッドに下ろすと玄関のドアにそっと近寄った。 ドアスコープからそっと外を覗く。 ───ッッ!! 驚きが口から悲鳴になって飛び出しそうだった。 ───お、お義母さん!! もう嫁ではないのだから義母というのもおかしいけど別れた暴力夫の母親だった。 何しに?何でここが分かった? 手足が震えていた。
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どうしよう‥。 何しに来たの‥? ドアの前で、うろたえる‥。 私は、元旦那も嫌いだったがDVを見て見ぬふりをする義母も嫌いだった‥。 「ピンポーン、ピンポーン。」 うるさいなぁ‥。 もう、ほっといてよ‥。 あー、もう関わりたくない‥。
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居留守…鳴り続けるインターホンに耳を塞いだ。 「そんなんだからお前は!」 お腹に鈍痛が走る。感覚が戻ってきたように吐き気がした。 嫌だ…帰ってよ… うぎゃあああん インターホンの音で娘が目を覚ました。最悪だ… 「美代さん?いるの?」 娘を抱きかかえ必死にあやしながら思った。 この子を守らなきゃ。 「帰ってください!」 私はドアの前に立った。 「今更なんの用ですか?…はやく…帰ってください」
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「孫の顔をみたいだけです」 それを言われると返す言葉がない。 「本当は、美代さんに謝りたくてきたんです。離婚してから、息子の暴力が私に……。自分にふりかかってようやく、美代さんのことを見て見ぬ振りをしていた自分が情けなくなって」 はきはきと喋る義母だった。その義母の声は弱々しく、嘘ではないと感じた。 チェーンをしたまま、ドアを少し開ける。 義母のやつれた顔が、過去の自分に重なる。
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開けたドアの隙間から、するりと冬の冷たい空気が流れ込んでくる。 外はもう暗くなりかけていた。 「…どうぞ」本意ではなかった。 正直、もう関わりたくはない。 けれど、義母の姿を見て、追い返す気をなくしてしまった…。 …暖まった部屋も冷めてしまう。 「ありがとう、美代さん」 「…お茶、淹れますね」 泣き止んだ娘をベビーベッドに寝かせ、お湯を沸かす。 ベッドの横で、義母が娘の顔を覗いている。
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「でも、本当によく似てるわねえ。あの子に」 湯呑みを持つ手が止まった。 一体、何を言っているんだ。 義母は娘を見つめている。 「あの子は昔からやんちゃで、私も手を焼いたのよ。母子家庭だったから、私がしっかりしなきゃと思ってね。辛かったけど、お仕置きも沢山したわ。昨日も同じように、ね」 遠くで、パトカーのサイレンが聞こえる。 そこにいたのは、先ほどまでドアの前にいた義母ではなかった。
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「あの子ね、いつも私が少し力を入れると涙を流しながら言うのよ。ごめんママって。でもね、おかしいのよ。いくら力を入れても何ま言わないのよ、あの子ったら」 義母は薄ら笑いを浮かべながら寝息を立てている娘の頬を撫でくりまわす。 反射的に娘の体を抱き起こそうとした瞬間、 義母の華奢な指先に手首を掴まれた。 「こんな風に」 背中に冷たい物を感じる。 「ねぇ美代さん、悪いことをしたら何て言うんだったかしら?」
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この子を守らなくちゃ。 恐怖と戦い悲鳴をあげて義母の手を振り解く。 義母が呪詛のように言葉を吐くのを聞きながら、私は娘を抱き上げ家をとびたした。 あの悪夢から月日が経った。 所縁のない土地へ引っ越し、娘は健やかに成長して小学生になった。 甘やかしたのか最近は反抗的だ。 娘の押すインターホンの音を聞きながら、躾も大事よね、と私は呟く。 義母のあの時の言葉が蘇る。 「美代さんは、私に似ているわ」
- 完 -