愚かで無垢な可愛い可愛いアリス。 時計を片手に走って行く白兎の後を追いかけて、深い深い穴に落ちました。 穴の底にあったのは、不思議の国でも何でもない、無限に広がる赤い世界 真っ赤な薔薇。いいえ、これは白薔薇 赤い何かが白を赤く染めてるの 真っ赤なワイン。いいえ、ワインはこんな錆びた鉄のような香りはしないわ 真っ赤な水溜り。いいえ、これは… 水なんかじゃないわ アリスの赤い唇が、歪んだ
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綺麗…… 真紅に染め上げるその〝赤″、は… 次第にアリスの思考を狂気の渦へと誘っていった。 「…ガサガサッ…」 音のした方を振り返ると、 「……うさぎ……?」 すぐに薔薇の影に隠れてしまい、よく見えなかったが、先程のうさぎだった。 足は自然に音のした方へと向いた。 追いかけなくては…… ひきつった醜い笑みを浮かべながら、玩具を見つけたアリスは進む。 …いや、堕ちていく…?
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「待って頂戴!」 アリスは駆ける白兎を追う。 「じ、時間がない時間がない……!」 白兎は何やら慌てており、アリスの声は聞こえていない……或いは聞こえていても返事をする余裕が無い、とでも言ったところだろうか。 しかし、狂ったアリスにそんなのは通用しない。 「お待ちなさい、白兎さん……?♪」 白を赤に染めた世界は、無垢な少女の心さえも……染め上げてしまったのだった。
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アリスはうさぎの耳を掴んだ。 グイッと顔を近づけ真っ赤な目を見つめながら疑問を口にする。 「どうしてあなたは白いの?目はこんなに綺麗な赤色なのに。異端だわ。かわいそう。きっとあなたも赤くなれば仲間にいれてもらえるわ。そうだ、私が染めてあげるわね」 にっこりと笑いながらアリスは手元にあった切れ味のよさそうな草を手に取る。 「大丈夫。痛みは一瞬よ♪」
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アリスは鷲掴みにした左側のふかふかした長い耳をスパッと斬り落とした。 「うわ!なんて残忍な事をする娘だ!」 兎は自慢のふかふか耳が生えていた根元を抑えながら抗議した。でも切れてしまったものは戻らない。後の祭りだ。 切り口からはドクンドクンと白兎の小さな心臓の鼓動に合わせて真っ赤な薔薇が液状になって溢れ、忽ち兎を深紅に染めていった。 ところが、切り口より上の、もう片方の右耳だけが白いままだった。
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「これじゃダメね。右側は染まらないわ」 「やめてくれ!そうだ、君をハートのクイーンに会わせよう。そうしたら君はもっと綺麗な赤が見れるだろう。」 その申し出にアリスは少し不満だったが、この兎といたらハートに会える。 アリスはクスリと笑みをこぼした。 「わかったわ。ハートの女王に会わせなさい。」 「その必要はないですよ。彼女はここに居てはいけないんだ」 「帽子屋!」 兎は驚きに目を開いた。
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帽子屋は脱帽して、アリスに一礼してからこう言った。 「アリス、今すぐもと来た世界に戻りなさい。君は赤に染まるべきじゃない。」 するとアリスは白ウサギを、右耳を掴んで持ち上げた。 「うわっ!」 「なに言っているの。染まるべきじゃない、ですって?こんなに綺麗な色なのに。貴方、どこもかしこも真っ黒ね。そうだわ、貴方も真っ赤に染めてあげましょう。」 アリスはウサギを掴んだままツカツカと帽子屋に近づいた。
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「黒は赤には染まらない。私を黒だと認識出来るのであれば、やはり君は今すぐ帰るべきだ」 近付くアリスに臆せず帽子屋は言う。 赤 戻る?あのごちゃ混ぜの色の世界に? 紅 こんなに綺麗な赤い紅い世界から? 緋 ああ、そうだわ 赫 ウサギのように私が染めればいいのよ♪ 「うふふ、分かったわ。ふふふ♪」 アリスは進めていた足を止めて綺麗に笑う。 さあ、もとの世界へ 戻りましょう♪
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赤、緋、赫… いろんな色と、錆びた鉄のような香りには、ほんとに、飽きないわ。 …でもね。 この世界には、もう新しい『赤』がなくなっちゃったの… あと残ったのは私だけ。 自分の『緋』も、もちろん見てみたいわ。 だけどね、それよりも、私はもっと多くの『赫』が見たいの。 ーー私は新しい世界で、もっと幸せになるの。 ねぇ…そこのあなた、どこかで耳の赤い白うさぎを見かけなかった?
- 完 -