深海の蛙

深海魚を浅瀬につれていくと、環境に耐えられず体が破裂する。僕の仕事はその破れかぶれになった体、飛び散った内臓及びその他諸々を回収し分別することだ。拾う、洗う。分ける、箱に詰める。そうして出来たクーラーボックスは「何処か」へ運ばれていく。その「何処か」──葬儀屋だか研究所だかが、僕に報酬を支払う。僕はその六割を海の整備に使い、残りは自分の懐に入れる。 ある意味、僕は深海魚に生かされているとも言える。

6年前

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「まだそんな仕事やってるの?」 「給料も待遇もとても良い」 「そんなのはわかってるわよ」 魚の腐乱臭のみならず、深海魚特有のアンモニア臭等の異臭を、全身から放つ僕に会いに来る人なんてのは姉だけだ。早くに他界した両親の代わり、自分の時間を削って世話をしてくれた。 「もしかして仕送り増やした方が良い?」 「あんたからの仕送りは十分すぎるくらいよ。それより、ちゃんと外に出かけてるの?友達はできた?」

6年前

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「友達なんかできる訳ないよ」 いつものように鼻で笑って見せる。 「姉さん、わざわざ来てくれてありがとう。これから帰って仕事なんだろ?」 「ええ、でもあんた。仕事ばっかりしないで、たまには島から出るのよ」 朝一番の定期便が、姉さんとクーラーボックスを積んで出発する。それを見届けて、僕は家へと帰った。 夕方から起きて海の整備を始め、早朝に深海魚を拾う。僕はそんな昼夜逆転の生活を送っている。

6年前

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水曜の定期便で僕はクーラーボックスを送る。深夜にライトをつけて深海魚を拾う仕事は、うら寂しい。 等間隔で落ちている深海魚を軍手をはめた手で拾っていく。 ニシアンコウの平たい顔を両手で挟むとすえた臭いがした。 拾い上げた魚をポリ袋に入れていく。 ずるずると引きずる魚は重い。波の音が隣から聞こえる。

Utubo

6年前

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すると向こう側からも砂を踏みしめる音がした。それはポリ袋を携え、歩いてきた男だった。 「おや、珍しいですね」男はいやに上機嫌だった。「あなたもお仕事ですか?」 「ええ。それにしてもやけに楽しそうですね」 僕は、自分と同じ仲間が見つかったことに微かに興奮を覚えると同時に、生き生きとした男の姿に嫉妬していた。 「ええ、僕の貝殻を待っている人がいますから」 なんだ、こいつも僕とは違うのか。

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この感覚をどこかで味わったことがある。 例えば、読書趣味の知り合いを見つけたのと似ている。広義では同じ趣味であっても、狭義で熱中している対象は違っている。だから、本当に分かち合いたい話をすることはできないのだ。 期待と失望。それから、隣の芝生の青さ。 だってそうだろ。深海魚拾っているって言うより、貝殻拾っているって言う方が見栄えがするじゃないか。 けれども、僕は深海魚を拾う方が好きなのだ。

aoto

6年前

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そう。結局はそこなのだ。 深海魚を拾うのが好きな者と貝殻を拾うのが好きな者がいて、それぞれの仕事をそれぞれのやり方でこなす。 そんな素晴らしい事に、とやかく言える者こそおかしいのだ。 ひと仕事を終え、なんとなく「休憩しませんか?」と声をかけた。 「いいですね〜?」との返事に気を良くした僕は、とっておきの場所へ彼を案内した。 そこは、漁港全体が見渡せる小高い丘で、眺めと潮の香りが心を癒してくれる。

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誰かとふたりでこの景色を見るのはすごく新鮮な感じがした。姉さんと来たことはあっただろうか。 「しかし、世の中にはえらい人がいるものですな」 「?」なんの話だろう。 「僕の貝殻を染色して商品にしてくれる職人さんが言うには、深海魚の肝が一番鮮やかに色が着くそうなんですよ」 「…」 「僕はをアレを扱ってくれる方がいるってだけでありがたいのです」 少しおどけた風に言うその人は僕を知っていたのだろうか。

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彼とたわいもない話をした後に、また会おうと連絡先を交換した。 「——それで、またなんで島を出る気になったのよ?」電話越しに姉さんが問いかける。 「僕は深海魚を集めていたけれど、結局は蛙に過ぎなかったって事だよ」 「馬鹿ね、私はずっと付けてたのに」 姉がここに来ていた理由をようやく理解し、それでも気付こうとしなかった自分に笑った。 「海風も悪くないもんだね、匂いはいつもと変わらないけどさ」

クロア

5年前

- 完 -