doll
彼のため。
私は勉強する。
彼のため。
私は努力する。
彼のため。
私は早起きをする。
彼のため。
私は夜遅くまで起きておく。
私がやることは全部、
彼のためなんだ。
- 1 -
そんな私に彼は、いい子だね、と言ってくれる。
君は僕だけのもの。
とてもかわいいよ。
夜遅くに帰ってくる彼は、まるで人形でも撫でるように、そっと私の頭を撫でる。
僕のために起きていてくれたのかい。
僕を待っていてくれたのかい。
もちろんよ、と私は言う。
小さな部屋に声が響く。
私は、彼のためだけに生きている。
- 2 -
いい子だね。僕だけのもの。かわいいよ。
その言葉に私は微笑みを返す。
私は、彼のためだけに生きている。自分のために生きることを考えられない。
彼が大事だから──否。
彼を愛しているから──否。
彼が愛してくれるから──否。
彼と出会ってから、私は彼のために頑張るのが当たり前になっていた。それで彼の笑顔が保たれ、私の頭を撫でる。その手は私を撫でるため。殴るためじゃない。
私は彼のために生きる。
- 3 -
彼が好き。
クラスの子が彼氏の愚痴を言っているのを聞いた。信じられない。
彼が好き。
今日も彼に褒められた。今日もありがとう。今日もご苦労様。それは彼が私に確かに言ったもの。私だけに言ったもの。
彼が好きよ。大好きよ。
私は彼に今日も伝える。彼はそれにゆっくりと微笑む。
そして私は手を動かす。
彼に愛されるため。彼の愛に答えるため。
呼吸や、全ては彼のため。
- 4 -
小さな部屋で今日も彼を待っている。
暮らしに必要なものは全て彼が買ってくる。
あの日学校を辞めてから彼とずっと一緒。
外の世界は危ないからここにいてと彼は言う。だから私は家を出ない。そうすれば彼はまた私を撫でてくれるの。
思い立って手料理を作ることにした。包丁に触るのはいつ以来だろう。彼の喜ぶ顔が見たかった。でも、料理を目にした彼は喜ばなかった。
料理なんて危ないこともうしないで。
- 5 -
はい、と、私は答えた。
よし、いいこだね。彼は私の頭を撫でた。
でも。
彼は喜んではくれなかった。
私のすることだなんて、全然、嬉しくないんだ。
私は、役立たずなんだ。
ぼうっと、私が作った料理を見る。
あれ、なんだか、ぼやけて見える。
彼が戻って来て、手を合わせた。
そして、いただきますと、いった。
彼が、私の料理を食べてくれた。
もうしないで、と言われてしまったけれど。
- 6 -
彼を待つ部屋の中。
思い立っては彼のために何かをしたけど
どれも喜んではもらえなかった。
お礼は言ってくれるものの、
最後には、あぶないからやめて、と。
君がそばにいるだけでいいんだ、と。
そのうち私は何もしなくなった。
彼が帰ってくるのを待つだけの人形。
何も感じなくなって夜も声をあげずに
ただ彼の触れる感触だけ確かめた。
いつも通り頭を撫でる彼の目の奥が
ふと退屈そうな色をしていた。
- 7 -
どうしよう。
なんで、彼に退屈だと思われたら、私はもう、意味のない人間……
そうだ。私が、こんな人形みたいになったから、彼は…
私、生きているのよ…
次の日、帰宅した彼に、カッターで切りつけた手首を見せた。血が垂れた床に、彼は膝が崩れるように座り込んだ。
ごめん、もう、別れよう、と彼は言った。
私は、涙も出ないほど苦しくて、苦しくて、その時目に入ってしまったのが、手首を切ったカッターだった。
- 8 -
私はカッターを手に取り、彼の心臓を、刺した。
刺して、刺して、刺して、刺した。
そうして、彼が動かなくなったのを見届けてから、自分の首に、刃を滑らした。
遠のく意識の中、血が流れ出るのがわかる。
私の身体から、彼の身体から。
そうして、2つの朱は混じり合っていく。
それを見て、思わず笑みがこぼれた。
私が貴方だけのものならば。
貴方も、私だけのものでしょう?
これで私達、ずっと一緒ね。
- 完 -
作品情報
doll
#19329
- リレー期間
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2年1ヶ月