「さっきから何を見てるんだよ八田」 部活中、辻堂がいつもの呆れた声で問いかけてきた。 私は視線をその人に固定したまま即答した。 「三崎さんよ」 ここは文芸部の部室である。私が今見ているのはグラウンドの陸上部。そこで走っているのはかの有名な三崎さん。 「誰だ」 「知らないの?あのあんぱんが超美味しい三崎ベーカリーのお嬢さん……でもあるんだけど、絵がすごい上手いらしいの。部誌の表紙絵を頼みたくてね」
- 1 -
「漫研や美術部じゃダメなのか?」 首を傾げる辻堂に、八田はふん、と鼻を鳴らした。 「マンネリなのよ、我が部の部誌は。去年までみたいな変わり映えのしないのじゃダメ。今こそ新しい風を吹き込まないと!」 そう言ってガバッと体を起こすと、八田は拳を固く握り締めた。 「そう!今こそ我が部に……三崎ベーカリーの新風(あんぱん)を!」 「私欲が漏れてるぞルビに」 パコッ、と相方の頭を張って、辻堂は溜息をついた。
- 2 -
「あのぅ…」 そこへ関西訛りを残す生徒会役員が話しかけてきた。辻堂が用件を取り継いで、役員君は踵を返すかと思われたが。 「三崎さんがどんな絵を描くか先輩方はご存知ですか?」 妙に心配した様子で質問され、私と辻堂は顔を見合わせる。 「一年の先生方には、ノートの落書きですら評判だって聞いてるけど?」 それだけ聞いて退出した役員君は心の中でこう思った。 あぁ、アカンやつや…。 そのへん……まぁええか。
- 3 -
「とにかく!三崎さんに交渉よ!」 「おい!待てって!」 と言うが早いか、私は三崎さんの前に立ちはだかった。 「三崎さん!」 「えっ、は、八田さん…?」 「あ、あのっ!えっと、わ、私達のぶ、部活にあん」 パァン! 「っつー…」 「だから、私情を挟むなって」 「えっ?えっ?」 三崎さんの頭の上に?マークが飛び交っているのが何となく見えた。 「え、えっと…部活の文集の表紙描いてくれない?」
- 4 -
「えっと……ごめんなさい。私、お店の手伝いが忙しいから」 ぽつぽつと伏し目がちに話す謙虚さも微笑ましい、我が部に必要な人材だと八田が将来設計を進めていると、 「急にごめんね。彼女がどうしても君に表紙を頼みたいって聞かなくて」 辻堂が爽やかにまとめにかかっていた。 「いや!三崎さん!我が部は今回の部誌に貴店の広告掲載も考える所存!」 「八田、独断でそれはまずい」 「三崎のあんぱんはまずくない!」
- 5 -
「宣伝なら…うーん、でもなぁ」 再び「パコッ!」が入り、頭を抑えていると三崎さんの心が揺れ始めていた。 チャンス到来。逃しはしない私。 「三崎さん!!」 「は、はい?」 「あのね、三崎ベーカリーは本当に素敵なパン屋さんだよ!この私が保証する!三崎さんのパン屋さんは小麦粉が違う!味が違う!質が違う!匂いが違うの!」 「あ、ありがとう…」 「宣伝しまくるから!だから、どうか私達に素敵な表紙を…!」
- 6 -
結果、三崎さんは私の押しの強さに根負けした。完全勝利を収めたと言えよう。鼻息も荒くなると言うものだ。 「あの、ただ私、言われたものを描く、みたいなのは苦手で……」 三崎さんは商売人ではなく、芸術家なのだ。そう思った。同じく文芸と言う芸術に傾倒している私はかえって感動したりして。 「やるからには誠心誠意、頑張らせて貰います」 どこか、イースト菌の様な残り香を漂わせ、三崎さんは去って行った。酒粕かも。
- 7 -
それから三崎さんは、たまに放課後の文芸部に出入りするようになった。捏ねたイメージの膨らみ具合を確認するため、部室の隅でスケッチを広げる。 私も辻堂も干渉しないよう普段通り部活動をするが、たまに視線が彼女へ向く。 三崎さんは小休憩するとき必ずおやつを食べていた。 「は!今日のおやつは南瓜あんぱん!」 「毎日チェックしすぎだぞ、お前…」 そればかりに気を取られて忘れてたことが一つある。彼女の画風は、
- 8 -
上手すぎてモノクロ写真のようだ。 だが、問題は── 「こ、この絵って……」 それは、男性教師と女生徒が笑い合っている絵だった。 周りには、少女漫画風に花やハートが散りばめられ、恋模様を示唆している。 「これ、八田と陸上部顧問の鈴木先生か?」 「ッ!!」 「あ~なるほど。そういうことか」 三崎さんは、並外れた洞察力で人の関係性を見抜き、それを描く。 秘密のある者にとっては厄介な絵描きだった。
- 完 -