白昼夢

健一は駅の改札を抜け、人の流れに沿って階段を降りていく。環状線の駅の前にはバス停のロータリーがあり、車道が緩やかな円を描いている。 ロータリーの中央には、景観のためか、花壇がある。そのさらに中央に数本の高い木と、白い正方形を模したコンクリートの塔があった。 左手にはめた腕時計を見る。時刻よりも先に使い込みところどころ色褪せた革のバンドに目がいき、思わず顔をしかめる。

kotaro

13年前

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新卒後、はじめて入社した会社が不況のあおりで倒産したのは半年前。時計を新調したくても、そんな余裕は健一にはなかった。再就職活動も思うようにはいっていない。いまは短期バイトで食いつなぐ毎日だ。 今日の仕事は駅前のモニュメントの清掃作業と聞いている。おそらくこの白い塔をブラシで洗うのだろう。健一は集合場所の事務所に五分ほど早く到着した。

旅人.

13年前

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「おはようございます、工藤と申します」 「お、今日のバイトさんだね。よろしくね、しっかり頼むよ」 事務所の奥にあるロッカールームで渡された作業着に着替えるとちょうど9時。 事務所の人にこれ持って、と渡されたのは脚立、バケツ、たわし。例のモニュメントの前まで一緒に来て 「これ、お願いね。12時になったら休憩ね」 他には何も説明なし。 こいつが綺麗になるか否かは健一次第、健一の気持ち次第というわけだ。

Noel

12年前

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親に学費の苦労をかけて大学まで行かせてもらったというのに、何が悲しくて掃除夫なんかやらなきゃならないんだーー。 健一は、こみ上げる怒りを誰にぶつける術もなく、ただひたすら薄汚れた石膏をたわしでこすり上げた。 正直、こいつが綺麗になろうがなるまいが どうだっていい。だいたい、誰がこんなもの見てるっていうんだ。何の意味があるっていうんだ。税金かけてんじゃねーよ。 次から次へと怒りが沸いてくる。

しなもん

12年前

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怒りが沸けば沸くほど、たわしを握る力は強くなる。正方形の側面はどんどん白くなり、残すは一番上の面だけになった。脚立に足をかけ、白い塔によじ登る。 そこで健一は思いもよらないものを見た。 それは扉だった。このモニュメントは人間よりもずっと背が高いので、人々が一番上の面を見ることはまったくない。扉の取っ手は窪みになっていて、下からは見えないようになっているのだ。 好奇心に任せて、健一は扉を開けた。

lalalacco

11年前

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陽光が差し込んだその先に、まず正方形の白い机が見えた。それから花のない正方形の白い一輪挿しと、正方形の白い椅子と、正方形の白いやかんが乗った正方形の白いコンロ。 え? こんなところに、部屋? 健一は目を瞬くが、部屋の様子は変わらない。モニュメントの中だということを一瞬忘れる。 す、と暗がりから少女が姿を表した。 白いワンピースの、美しい少女だった。少女は目を細めて、ゆっくりとこちらを見上げた。

sir-spring

11年前

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「ありがとう」 少女はそう言って微笑んだ。一瞬で虜になる、眩しく美しい笑みだった。 健一は暫しぽかんとした後、何が? と間の抜けた返事をした。 これほどの美少女に、これほどの微笑みで礼を言われる理由がわからなかった。 「こんなに綺麗にしてくれた人は初めてよ」 少女はまた笑った。両手を広げ、踊るようにくるりとまわる。正方形を模した形のワンピースの裾が、ふわっと膨らんだ。 「ほら、真っ白」

misato

11年前

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「ど、どういたしまして」 何か返答しなくてはと口に出たのはつまらない謙遜の言葉だった。少女はふんわりと微笑む。 「モニュメントの秘密、知りたい?」 少女は、白い机の中央に向けて手をかざした。そこにはモニュメントを制作する男の姿が写っている。 ただの正方形の石膏だと思っていたが違うようだ。男はモニュメントのこの部屋の空間を作っていた。作業を進める男の部屋の隅にベッドがあり、そこには目の前の少女が。

11年前

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「芸術家として美しさを追い求めていた父が、最後に辿り着いたのが正方形だったの」 男が作業する姿を見つめながら、少女が呟いた。 「この空間は、父が私のお墓にするつもりで作ったのよ」 「お墓って──」 その時、下から事務所の人が呼ぶ声がした。腕時計は正午を示している。健一が再び中を覗き込むと、もう少女の姿はなくなっていた。 美しさを取り戻した白い塔を振り仰ぎ、健一は思う。 掃除夫も案外、悪くない。

hayayacco

11年前

- 完 -