星間鉄道の黄昏

夕暮れが終わる頃、透きとおった電車に乗って、終点まで揺られていたい。 うるさくて静かな車内がいい。席はだいたい埋まっていて、隣には知らない人が座っているくらいがちょうどいい。 進行方向に背を向けて座って、後ろから流れてくる町並みを、ぼんやりと眺めていたい。 茜色が薄れて、地平線に、だんだん黄色が滲んでゆく。逆光で黒く染まったビルを見つけては、いつかあの中に足を運んでみたい、と思いを馳せる。

kam

8年前

- 1 -

そうぼんやりと見ていると、いつの間にか世界が逆転していた。 地には硝子のような月が埋まっていて、中ではマントルがゆっくりと動いていた。 空にはビルが氷柱のように垂れ下がっていて、様々な色をした光が反射して眩しい。 窓の向こう側は、私の知らない世界。でも、それが嘘だとは思わない。 世界なんて、そんなもんだ。 いつだって、私の思っているのと反対側をいくのだから。 一際大きく、電車が揺れた。

- 2 -

衝撃に思わず目を閉じる。そして次に瞼を上げた時、車窓の外は日暮れから夜へと変わっていた。 どうやら、列車は月を越えたらしい。いつしか車体は線路を離れ、とある童話の鉄道のように夜空を走る。 空から下がる建物に近付いてゆく。ビルの間には逆さまの車が走り、家の窓には仲睦まじい様子の家族が逆さまで談笑していた。 あの世界にとって、逆さまなのは私なのだ。訪れたいと望んでも、きっと叶わない。

- 3 -

憧憬を胸に秘め、在りし日の空想に想いを馳せる。 窓の外の景色には絶え間ない幻想が映り込む。 夜空を飛ぶ鰯。星屑を啄んで泳ぐ朱鷺。言葉を発せず、静かに生き永らえる銀色の蝉。 緩やかな車内の揺れは私の心を平穏に保つ。 対岸の世界に住む人々にとって、私の眼に映る綺麗なもの全てが偽物なのだ。私にしか見えることはできないから、この美しさは誰にも伝えられなくて、私の身体の中にさんさんと溜まり続けていく。

aoto

8年前

- 4 -

その溜まった美しさは、どこへ行くのだろう? 偽物の綺麗な記憶は、どこまで行っても偽物でしかない。私が見ている赤い林檎は、他人がみれば青いのだ。 電車は星の、銀河の間をすり抜ける。無数の輝きに目眩がしそうになる。 やがて電車は、乾いた岩の大地に停止した。 火星。 この星について詳しいことは分からないが、地球の隣の星だということだけはかろうじて知っている。

- 5 -

火星から臨む地球は美しかった。 黒と墨と藍と紺を織り合わせた宇宙の中で、地球だけが嘘っぱちのように完成されていた。 そう、虚構なのだ。 私が今抱いた感動も畏怖も情景も、私以外の全てにとっては他人事でしかない。 寂しい。 私の瞳から零れた涙が、火星の渇きに引き寄せられ堕ちた。 地表を覆う細かな砂粒が、鈴の音を立てる。 ついぞ花開くことのなかった綺麗な記憶達の屍が、この地中深くに眠っていると謳う。

香白梅

7年前

- 6 -

星間紀行を何往復繰り返しても、私の魂は果てることもなく、報われる日は訪れない。虚構に成り果て、隣に座る誰の目にも映らず。触れ合うこともなく。逆さまの世界に舌をのばしても、涙の味しかしない。乾いた笑いを伝っておちる。 ドアが閉まります。 また、こうしていつもの席に戻っているのだ。隣の星に、さよならを告げて。感傷に浸された過去たちが、月の引力で生まれた波に引き戻されてイク。 砂の文字も消えた。

- 7 -

再び座席は大きく揺れた。 車両は緩やかな曲線軌道を描いて地球へと頭を向けた。 火星を、月を越えて、逆さまの世界に飛び込み水面の中から顔を出す。今宵の星間旅行も間も無く終わる。次に電車から降りてしまえば私はまた虚構の日常に溶かされる。 永遠に続く、感情の環状線だけを心に残して。 窓を伝う水滴を撫でると鉄琴のような音がした。 「土星まで乗るかい」 硝子の車掌に問いかけられたが私は首を横に振った。

nanome

6年前

- 8 -

夕暮れが終わった頃、いつもの電車に乗って、いつもの駅で降りたい。 もう遠くへは行きたくなかった。星々の冷たい美しさを身に溜めて朽ちるより、手が届かなくても世界の傍にいたい。 彗星となって無限なる夢幻を駆ける電車。孤独を閉じ込めた砂の一握りを餞に、この世に満ちる全ての寂しさの記憶を連れて逝けと祈る。 茜色が薄れて、地平線に、だんだん黄色が滲んでゆく。 逆光で黒く染まったビルの影に、私は溶けた。

6年前

- 完 -