絶対に入ってはならない、と両親が言う部屋があった。 今までに僕は二回入ろうとしたことがあったけど、どちらも失敗していた。そもそも厳重に掛けられた鍵のせいで入ることが出来なかったし、その二回目の時にいたっては扉の前に居たところを母に見られ、打たれる程怒られた。もう僕は入ることは叶わないんだと思っていた。 しかしある日、僕はたまたま運よく鍵を手にいれることが出来た。 試さずにはいられなかった。
- 1 -
毎日どんな部屋なのかと想像を膨らませた場所。あの部屋の鍵が今、僕の手の中にある。期待と興奮と少しの不安による汗が頬に一筋。 部屋の前に立つと、自然と背筋が何かに引っ張られるようにぴんと伸びた。鍵を持つ手が汗ばみ、小刻みに震える。 意を決して、鍵穴に部屋への切符を差し込む。がちゃがちゃきーかちゃり。 ついに開けてしまった!! 母に見つからないうちに部屋に入る。 目の前には、古びた階段があった。
- 2 -
地下深く暗闇へと続く階段。まさかダンジョンへの入口なのか…と、壁に見つけたスイッチを押してみると、階段が明るく照らされた。改めて見下ろすと十段もない短い階段である。 踏むたびに軋む階段を音を立たてないように慎重に降りると、そこは狭い部屋になっていた。レンガ造りの壁に木製の棚が置かれ、そこに沢山の瓶が並んでいる。 どうやらワインセラーらしい。しかし両親がワインを飲む姿など今まで見たことはない。
- 3 -
いつのモノなのだろうか。いずれの瓶も棚も、床すらも、何もかもが埃をかぶっている。一面に広がるワインの瓶の数々。それが全て埃をかぶっていた。 少し落ち着きたくて、僕は目の前にあった椅子の埃を少し払うと、その上に腰掛けた。 しかし、色々考えて見ると不可解な事がある。なぜ両親はここを隠すのか、なぜ埃をかぶるほど放置してあるのか。 色々思考を巡らせる僕にある一つの埃をかぶっていない樽が目に入った。
- 4 -
樽、と言えば思い出す話がある。 国語の教科書に載っていたものか、絵本で読み聞かされたか、テレビ放送の映画か… 港に停泊した大きな客船からゴロゴロと転がし出される樽のひとつが何かに引っかかり、呆気なくパカリと開いてしまう。 ワイン、あるいはウィスキーがあふれ出てくるはずがそこに詰まっていたのは大量の金貨。 それと── ルビーの指輪を嵌めた青白い女の手、だった。 っていうね。
- 5 -
何があるのか分からない空間、まして、両親がひた隠しにしてきた部屋で、頭は興奮せずにはいられなかった。そこにきて、こんな怪しい樽である。背筋に変な緊張が走る。 大金か、死体か、単に酒なのか? ワクワクと怖れが入り混じり、動けずにいた。 意を決して椅子から立ち上がった途端に、チャーンと金属の落ちる音がした。 緊張や興奮のせいか、無意識に鍵を手放して床に落としていた。
- 6 -
僕は慌てて鍵を拾うと緊張と興奮で小刻みに震えている指先を見つめた。ここは自分の家だぞ、僕が育った土地の一部なんだぞと自分に言い聞かせた。 僕は樽に近づくと深く深呼吸をした。幼い頃に観た映画の主人公の気持ちが今になってやっと分かった。樽にそっと手をかけると目をつぶる。 三秒後に開けよう、三秒後だ。僕は心臓の鼓動を落ち着かせ息を止めた。 一、二、三! その時だった。 「そこで何してるの!」
- 7 -
心臓が口から飛び出すかと思った。見上げた階段の上方から光が射し込み、仁王立ちの母を照らしていた。 「かッ、母さん…!」 僕は片手を樽につけたまま、間抜けな格好でその場に凍りついた。幼い頃、幾度となく言い聞かされた言葉が頭に響く。 ──絶対に入ってはならない。 怒号が飛ぶか、打たれるか。少なくとも母は激怒するはずだ。ところが。 「もう、危ないから早く上がってきなさい」 いつも通りの母だ。
- 8 -
「お義父さんの趣味だったらしいの」 祖父なら僕が産まれる前に亡くなったと聞いている。 「形見だし値打ち物もあるかもしれないから、うっかり割ったりしないように鍵を掛けてたのよ」 「そう」 「ところで、何も見てないわよね?」 母の目は、笑っていない。 「……うん」 何も見られなかったのは事実だ。 「さあ、鍵を返して」 樽の中には何があったのだろう。深まる疑念と蟠りを残したまま、母に鍵を返した。
- 完 -