その花の蜜は愛の味

空に美しい満月が浮かぶ夜。月に頭を垂れる花々からは、光の蜜が溢れ出る。 それは月の恵み。花は月がもたらす光を体いっぱいに受け、自らの身から蜜を染み出させていく。そうして花弁から溢れ出るまでになった蜜は、白銀色に輝くのだそうだ。 光の蜜はこの世の何とも比べられない味で、くらくらするほど甘いという。 しかし、今その味を知る者はいない。 その蜜を口にすると、次の満月の夜には息を引き取ってしまうから。

ひゆき

8年前

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 ある夜、私の研究室に生徒が入って来た。いつもは講義中に寝ているような生徒だ。なので私としては、彼が研究室を訪ねて来るとは晴天の霹靂とも思えた。  だが、その生徒の様子が幾分かおかしい事に気が付いた。青白い顔をして、まるで罪の意識を感じていると言った様子。  私は心配になって話を切り出した。 「どうしたんだね」  その生徒は震えた声で聞いて来る。 「先生は……確か、植物学教授でしたよね?」

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答える代わりに頷くと、彼は俯き黙ってしまった。人付き合いが苦手な性分ゆえ、私は話を促すどころか沈黙を助長させてしまう。 「先生」 結局、居心地の悪い静寂を破ったのは彼の方だった。震える声で続ける。 「月蜜華って、知ってますか」 まさか、と思った。あの花の蜜を彼は。 「伝承は本当なんですか。呑んだ者は死んでしまうのですか」 「……ああ。死んでしまうよ」 彼が膝をつき、懺悔の姿勢をとった。

Ringa

8年前

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彼になんと声をかけていいものか分からなかった。 月蜜華の蜜には遅効性の毒が含まれている。科学的な研究から、その毒が満月に反応するのではなく、およそ一ヶ月の間体内で静かに息を潜めていることが分かった。満月から次の満月までの期間である。 蜜そのものは満月の日に溢れるので、こうした伝説が生まれるのも無理はない。 問題はその毒の解析が進んでおらず、ワクチンが生成されていないということである。

aoto

8年前

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「どうしたらいいんですか先生」 と懇願するように縋られたが、私は何も応えることは出来ない。 「君は月蜜華の伝承を知っていたようだけれど、どうして呑んでしまったんだい?」 苦し紛れに出た言葉がそれだった。 その言葉に彼は想像出来ないほどの反応を示した。体は震え、顔面は真っ青だ。 「すまない。言えない事情があるならいいんだ。ゆっくり深呼吸して」 「いえ…話します」 彼の声はしっかりとしていた。

ハイリ

8年前

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数週間前、僕は月蜜華を蜜を飲みました。理由? もちろん死にたかったからですよ。その時の僕はどうにかしてこの命を絶ちたかったんです。でも体を傷つけるのは痛いし、苦しいのも嫌でした。月蜜華の伝承を知った時は嬉しかった。華の毒は一瞬で回るから、苦しさもわからないんだとか。 僕は彼女に蜜を飲んだことを打ち明けました。彼女は余命宣告を受けたばかりで、近頃は何を言っても上の空でした。

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彼女は喜んでくれると思ったんです。 これで、僕達は離れることはない。ずっと一緒にいられると。 でもそうじゃなかった。 「なんてことをしたの…」 彼女はそう言ったっきり、僕とは目を合わせてくれなくなりました。 僕は多分、間違ったんです。 彼女に残された時間も、僕に残された時間も僅かなのに、彼女を失望させてしまった。 「どうしたらいいんですか先生」 懇願するように縋った手が震えた。

灰梅

7年前

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「……………」 私に彼女の気持ちがわかったような気がしたのは、多分遠い思い出の所為だろうか。 だから、掛ける言葉も見つかった。見つかってくれた。 「君は、生きたいのかい?」 沈黙が再来して、しばらく留まると再び去る。 「生きたい……です」 「それじゃあ──」 厳しい戦いかもしれないが、まあ、いつかやろうと思っていたことを、やらなければいけないときが来ただけだ。 「──ワクチンを作ろう」

続木

7年前

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研究室の奥、密かに保管していた一輪の花。光る蜜に口をつける。遠い昔、重い病の恋人と心中しようとした記憶が、喉を滑り全身へ。 「先生⁉︎」 「実は、私は月蜜華の毒を飲んで生き長らえている唯一の耐性保持者だ。…さぁ、私の身体と反応を調べてワクチンを作ろう。そして、君が生きようとする姿が、何より彼女の薬になる」 涙目の彼が頷く。 やがて出来るワクチンは、月の恵みを受けた花の蜜のように甘いだろう。

7年前

- 完 -