夕方海辺を一人で歩いていたら、ワインボトルが浜辺の砂に埋まっていた。 どうやらボトルメールらしい。何度も波に流されて、そして砂を被せられたのだろう。 僕はそれを拾い上げると、瓶を岩に打ち付け中の手紙を取り出した。 「私を殺して下さい」 そう書いてあった。 殺人依頼?でもこんな誰かに読まれるかもわからないボトルメールでか? そうすると違う意図があるのか。それとも本当に…?
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この手紙の主は、どんな人なんだろう。 ここに書いている【殺して】というのは命を奪う事ではなく、別の意図が? 誰が拾うかわからないボトルにこんな事を書くくらいだから、いたずらか気まぐれか何かだろう。そう思いながらその手紙を折りたたもうとした。 すると、裏にも何か書いてある。 「私はあなたの身近にいます」 どういうことだ?
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僕は手紙と、古びたそのワインボトルの破片の幾つかを、その日自宅まで連れて帰った。どうしてか、そうしなければならないような気がしたのだ。不思議なことに。 でもその時はまだ、新しいボトルを見つけて、もう一度海に流してみようかなんて考えていた。差出人もメッセージの意味もわからないし、そもそも僕ではない誰かに届くべきものだろうと思っていたからだ。 …その認識を改めたのは、手紙を拾った翌朝のことだった。
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いつものように枕元の目覚ましが騒ぎ立てる。珍しく一発目の目覚ましに起こされた僕は二度寝防止のために置いてある机の上の目覚ましを寝かしつけ、ふと目をやると昨日の破片と手紙。 やっぱり夢じゃないよな。適当な瓶にでも入れて海に流すか。 独り言とも言えない声で呟き、何気に手紙に目をやる。 「早く殺して」 早く殺して?確か昨日は「私を殺して下さい」だったよな。 刹那に手紙の裏の文が現実味を帯びてくる。
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「早くしないとあなたが死んでしまう」 どういう事だという疑問よりも先に、気味の悪さが襲ってきた。 この家には僕一人だけだ。それに扉や窓はしっかりと施錠してある。誰も入って来れないはずだ。 ならば何故、紙の文字が変わった? 念写というやつか? 正直、捨てたい。しかしそれをしてはいけない気がした。 「殺したくない、と言ったら?」 空いてるスペースに文字を書く。これは一種の賭けだ。
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「あなたが、死んでしまう」 繰り返し同じ文字が浮かび上がり、その刹那、紙は僕の首めがけて襲ってきた。 襲ってきたのだ。 風に飛ばされる、なんて生易しいものじゃない。紙はまだ手に持ったままだったから、紙の真ん中が裂けていく。 まるで、パックリと大きな口を開けてるかの如く。 逃げろ、捨てろと頭の中で警報が鳴り響く。 なのに何故か捨てれない。 無我夢中で瓶に戻した。 僕はまだ死にたくないんだ。
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呼吸が早い。今しがた起こった出来事を、脳で処理するのは無理だった。 瓶はカタカタ揺れていた。 部屋を立ち歩き、頭を整理する。 そもそも殺してとはどういう意味なのだろう。 僕は頭を抱えた挙句、錯乱したのか、馬鹿げたことをやる決意をした。 目には目を。歯には歯を。紙には、紙だ。 羊皮紙を取り出し、「僕は死なない。君も殺さない」と書き、接着剤で破片を繋ぎ合わせたボトルにそっと入れて、僕は寝た。
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目が覚める。 目が覚める? どうやらまだ僕の命は繋がっているようだ。ほっと胸を撫で下ろす。 傍らには僕が書いたやつが詰まっている瓶が握られている。お守り代りというやつだ。 床にはあの生きた羊皮紙が閉じ込めてある瓶。微かだが、まだカタコトと揺れている。 「作戦は失敗か……」 やっぱり、殺すしかないのか。あの紙には悪霊が宿っているんだろうか? 僕は瓶を拾い、暖炉の前に立つ。
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燃え盛る火の中に瓶を投げ入れた。これで手紙からは解放される。一息つくと焦げ臭い匂いが鼻についた。 「ぐっ」 振り返る前に腹部に痛みが走った。ガラス片が、腹に突き刺さっていた。痛みに悶えるとぴきぴきと周りがガラスに覆われる。瓶に、閉じ込められるようだった。 長い間瓶に閉じ込められ、僕は悟った。この瓶からは出ることが出来ない。そして僕は、遂に拾われた時こう言った。 「私を、殺してください」
- 完 -