街角スクランブル

ブレンドコーヒーを飲みながら、私は少し目を閉じた。パッヘルベルのカノンが静かに流れるこのカフェはいつだって私を優しい時間で満してくれる。 読みかけの本を閉じて、窓の外を眺めると、夏の陽射しの中を流れるように歩き去る人がいる。 ねぇ、あなた達は誰?あなたはあなたのことをどれだけ知っているの。 私らしさ、私の好きなもの。どうしたら見つかるの? パッヘルベルのカノンを聞きながら、本の世界に戻る

journey

13年前

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ああ、暑い。 とにかく暑い。 ジリジリ後頭部に熱を感じる。 蝉の声が癇に障る。 営業職なんて僕には向いてないんだ。こんな昼日中、一番の稼ぎ時にカフェでまったりしていられる連中は一体何者なんだ。八つ当たりしたい気分だ。 そう言えばランチがまだだったな。 ふとカフェの並びのラーメン屋を覗く。 いかにも頑固オヤジって風体の男がカウンター内で湯切りしている。頑固オヤジの俺ルールなんざ聞きたくない。

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人様が食べるもんを出す以上、美味いもんを出すのが俺の義務だ。麺も、スープも、味玉も。そして、店構えも、椅子の高さも、割り箸も。 若い外回りのヤツらなんかは「食えればいい」とだけ思って注文するヤツも多いさ。辟易してるけど、それでも食べて気づいて欲しいんだよ。うちはいっつも本気で美味いもん作ってる、って。 小遣い握りしめたガキでも、黄色い声のねぇちゃんたちでも、本気で作るから本気で食ってほしいんだ。

equo_k

13年前

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「毎度あり」 店主の無愛想ながらも丁寧なかけ声に軽く会釈し、ラーメン屋を出る。真夏の太陽は目が眩むほどで、これからが本調子だと言わんばかりだ。 バッグから日傘を取り出そうとして、小さな箱に指が触れた。 「結婚しよう」 念願叶ってやっと引き出した言葉が、こんなにも虚しい。 私は一度でも、人生を自分の足で歩んでいると言えるだろうか。 すれ違う汗だくのサラリーマンを見て、日傘を閉まい、歩き出した。

cheese

13年前

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東京のど真ん中、一日のうちに何千なん万の人々が群がりすれ違う、どんだけの人々が行き交う場所であっても、俺の人生で関わるであろう人達は、ほんの一握り。 運命どうこういいたいわけじゃない、大学に通うようになるまでは、田舎がリアルだった俺は、すれ違う人は、ほとんど知り合いだった。 その頃が、懐かしくあり、余計に東京のスクランブル交差点をスケボーでとぼとぼ進む自分がむなしくかんじてしまう。 すると、

munk8

13年前

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前から見覚えのある顔が近づいてきた。 律子だ。 「けんじ?健二なの?」 「ああ!久しぶりだな!」 「小学校以来かしら。なんか変わったわねー!」 そりゃそうだ、と言いかけた。重い言葉だった。 「りっちゃんもね。学校帰り?」 「ううん。…ちょっとカフェで本を、ね」 意外だ。あの律子がカフェで読書なんて。そういえば服装もおしゃれだ。 今りっちゃんは、なにを考えてるんだろう? 「じゃ、またね」 「うん」

李風

12年前

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「あ、先輩じゃないですか!」 冷めた視線で見ていたラーメン屋から出てきた女性が、こちらを見て驚いたように跳ねた。 「あれ、日野じゃないか」 大学時代の後輩はすっきりと髪を結い上げ、品のあるグレーのスーツを誂えたようにきちんと着こなしていた。大学の入学式なんかとは違う。自分のネクタイに触れて、もう何年も前のことを思い出す。 「なんか、変わったな、お前」 日野は、そうですかと首を傾げる。

sir-spring

12年前

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向かいのラーメン屋に出入りする客をみる。あっちのラーメンも美味しいけどあたしはこっちの方が好き。 味もあるんだけど、あっちには知り合いが多いから。 今も昔の知り合いがふと出会っているところを目の当たりにした。 あたしは深く帽子を被る。見つかるのが嫌はわけじゃないけど、見つかるのは面白くない。 少しだけ会話をして別れる彼らが知り合いに見られてるなんて考えはしない。 のびきったラーメンに手を付ける。

ハイリ

11年前

- 8 -

あの帽子の人、ラーメンのびてる。そんなことを気にしていた矢先、男の人が隣に座った。 「なんだお前、帽子なんか被って」 「あんたこそまた学校サボってスケボー?」 「…さっき、りっちゃんに会った」 「あたしは日野ちゃんを見た。知ってる?日野ちゃん、結婚するんだよ」 世の中には、縁が重なる瞬間があるらしい。 ラーメンを運びながら、ふと考える。俺もたまには親父に電話してみるか。いつも向かいの店にいるけど。

lalalacco

11年前

- 完 -