「あんぱんから始まる恋もある」 その小説はそう始められていた。 どう考えても、こんな変な小説書く奴は、あいつしかいない。 あいつまたあんぱん絡みのコメディ書こうとしてんな。 ここは文芸部。 この高校の中で、最も変人の集まる部活である。さらに俺もその部員。つまり変人。 あいつとは、俺のクラスメイトでもあり部活仲間でもある、八田美那穂。 …とりあえず、その小説の続きを読んでみよう。
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「あんぱんから始まる恋もある」 私、阪京第二学園中等部二年生である鯨橋キララの朝食は常にあんぱんである。朝食はあんぱん、そして牛乳があれば言うことはなにもない。たとえ昨日少しばかり夜更かしし過ぎて遅刻寸前で目が覚めたとしても鯨橋キララはあんぱんで1日を始めるのである。 「あんぱんが一番!」 今日も今日とてキララはあんぱんを口にくわえたまま、大急ぎで学校に向かうのだった。 ・ ・ ・ 「八田。来い」
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「ん?何?」 「何でいつもあんぱんなんだ?」 「え?クリームパンの方が良かった?」 「いや、そーじゃなくて!何でいつもあんぱんが出てくるんだよ⁉︎」 「だって、あんぱんは青春のシンボルでしょ?」 「…いや、その感覚がよくわからないんですけど…。何て言うかさ、その…もう少し違ったものに出来ない?」 「え〜〜!」 そして次の日…。 八田は全部の『あんぱん』の前に『こし』を付けて出してきた…。
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「違う、違う違う!俺の言いたかったことはそうじゃない」 満足げに掲げられた原稿の奥で八田美那穂の顔色が曇る。 「こしあん派じゃ…ない…だと……!?」 「違う」 食い気味に答える。 「あんぱんが出てこない選択肢はないのか」 「ないね!」 「何故だ」 「青春のシンボルだからよ!」 「その辺を詳しく説明してくれないか」 コホンと小さく咳をこぼし、青春とあんぱんについて語りだした。
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「青春は大半を占めるフツーの日常と、時にズシッとくる非日常のバランスで出来ている。それはあんぱんそのものなのよ!」 「いやどの辺が」 「パン生地と餡子の割合がよ。決まってるじゃない!」 脳の裏側で意識が遠退いたのは、杞憂ではないだろう。説明を求めたのは間違いだっただろうか? 「だとすれば他のパンでも一緒だろ?」 俺の呆れ口調に対し、八田は両手で机を叩いた。目には理解不能な熱を帯びている。
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「知らない」 「怒るなよ。もっと、わかりやすく説明してくれよ」 八田はため息をついて語り始めた。 「あんぱんの甘さを語らないと始まらないわね。甘さは青春に必要不可欠なもの。その甘さは時に未熟で、カスタードクリームのような完全な甘さにはないものをもっている。色もそう。あんこの黒さは、私たちの幼さを象徴している。焼き上げられたパンの丸みを帯びた光沢のある茶色だって…」 「ありがとう、もう分かったから」
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ちぇっと悪態付く八田は、俺の手から原稿を奪い去って、鞄の中に仕舞い込む。 と、その時に見えたのは、たった今まで彼女が力説していた青春の象徴…すなわちあんぱん。購買部で売っている、ちょっと餡子が多めの、女子に人気のパンだ。 あ、と彼女と俺の視線が合う。彼女は気まずそうな、そして俺は 「八田、なんだあんぱん好きなのか。そうだよな、青春に不可欠だもんな」 さっきの八田言葉を借りて、俺はニヤリと笑った。
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「いいでしょ別に!」 八田は俺から目を逸らして鞄を閉じた。それこそあんぱんみたいな脹れっ面なのが妙に可愛かった。 「だから怒るなって。あんぱん自体は俺も嫌いじゃない。うまいと思うし」 「あんぱん…嫌いなんじゃないの?」 八田が目を丸くして、また俺を見る。 「いちゃもんばっかつけるから、嫌いなのかと思った」 「そうじゃなくて、小説というものはだな」 「こしあん派?」 「え、まあ、どっちかっていうと」
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「なら、私と同じじゃない!」 八田はぎゅっと俺の両手を握った。 あんぱん仲間を見つけた彼女は、餡より艶やかな瞳を輝かせる。 「やっぱりこしあんよね!粒あんも悪くないけどやっぱパンに合うのはしっとりとしたこしあんだと思うの!」 いや俺はね。小説として言いたくてね。 しかしあんぱんを語る八田がどういう訳か、可愛く見える。 まさか。 「あんぱんから始まる恋もある」 俺のことだったとは、ね。
- 完 -