波立つ空模様

ソラクラゲが夜の間に吸い上げた海水をパラパラと降らせている。 大気は少し湿り気を帯びており、出発するにはいい朝だ。 「お待たせ」 私は最近やっと飛び慣れたグミイルカの背に乗り、その弾力のある体を優しく叩いた。 グミイルカ種の体色は個体ごとに大きく異なり、私が母から貰ったのは赤と黄色のグラデーションが綺麗な、珍しい子だった。 「さあいこう、カラハ」 グミイルカは胸ビレを動かし、空を泳ぎはじめた。

Fumi

10年前

- 1 -

浮かぶ雲を伝って、グミイルカは気持ちよさそうに空を泳ぐ。 時折金魚みたく、口をパクパクさせては、再び雲の中に潜り込む。雲の泡で遊ぶのが好きなのだ。途中、ソライワシの群が行く手を阻む。 「食べちゃだめ」 私はカラハの頭を撫でて言い聞かす。食べちゃったら、空を泳げなくなってしまうよ。カラハはきゅーんと甘えたような声を出しながら、ソライワシの群を避けて進んでいく。まだまだお出かけは始まったばかりなのだ。

aoto

10年前

- 2 -

海水の抜けたソラクラゲが漂っている。お出かけはとても順調だった。 ところが突然、どうと強い風が吹いた。近くにカゼフキエイがいるらしい。大きな胸ビレが羽ばたくたびに、竜巻のような風が巻き起こるのだ。 流されないように、カラハの背ビレにしがみつく。ワタアメヒツジが私たちの目の前で何頭も吹き飛んでいった。そして、 「あっ」 肩から斜めにかけていたポシェットの紐が千切れ、雲の向こうに飛ばされてしまった。

lalalacco

10年前

- 3 -

飛ばされると思ったポシェットは空中で止まった。 すいすいと泳ぎ、鞄を口に咥えて現れたのはイネムリアザラシ。ありがとう、とポシェットを取ろうとすると優雅にくるりと周る。彼らは普段害はなく、居眠りをしていることが多いのだが、起きている時はイタズラ好きになるのだ。 再び手を伸ばすが、あと少しというところですいと交わされる。彼らにしてみればただ遊んでいるだけなのだ。 もう、と溜息をつく。まだ、時間はある。

ハイリ

10年前

- 4 -

イネムリアザラシはこちらを振り返りながら少しずつ遠ざかる。まるで捕まえてご覧と言わんばかり。 「カラハ、お願い」 グミイルカの遊泳速度は空の生物の中でもトップクラス。カラハはキュンとひと鳴きすると、たちまちイネムリアザラシの前に回り込み、ポシェットを取り戻してくれた。 「ありがとう」 カラハに、もう無茶はさせられない。疲れると飛べなくなってしまう。 さあ、先へ進もう。 目的の場所まであと少し。

hayasuite

10年前

- 5 -

そこはゆったりとした風が吹いていた。前髪を揺らす風が心地よい。辺りは静かで、先ほどまでいた動物たちの姿はない。 きゅーい、と少し緊張気味に鳴くカラハの背中を撫でてやり、道を進んでいく。 ここは、終わりと始まりの場所。 動物たちはここから生まれ、ここで消える。カラハもここで生まれたのだ。と言っても、生み出したのは母なのだけれど。 「母さん、来たよ」 ポシェットから母の好きだったお菓子を取り出す。

- 6 -

「ワダツミ ここに眠る」 ワダツミ。私の母の名前だ。その母が眠る、終わりと始まりの場所は、今日も──。 「カラハと一緒に、海の向こうまで旅をしてきなさい」 私は毎日、母に手紙を書いた。色々な海のなかのいきものたち。 「お母さんすごいね。なんでもうめて」 そう書いたある日から、手紙の返事が来なくなった。まさかとは思ったけど、やっぱり、そうだったなんて。 ──今日も、お母さんでいっぱいだった。

望月 快

8年前

- 7 -

お母さん。私だけのお母さんではないけれど、大好きなお母さん。 そわそわし始めたカラハの背中をそっと撫でる。 「そろそろ帰ろうか」 辺りにはまた、ワタアメヒツジが何頭も集まって、ふわふわの体を寄せあっている。 突然、カラハが勢い良く飛び出した。思わず手が離れて、振り落とされそうになった。なんとか足に力を込めて、カラハの体を挟んで耐える。その間、私の顔や胸に何度もソライワシがぶつかった。

はまち

6年前

- 8 -

ソライワシの群れを抜け出して、瞼の裏から光が射し込む。目をひらけば、この身は天の縁まで浮かんでいた。 淡い七色に透き通るサンゴ礁を背に、 渦を巻くソライワシ、 追って空をかけるグミイルカ、 のんびりと空を眺めるワタアメヒツジ。 彩りを宿した彼らは、陽の煌めきを帯びる。 耳元の囁き。 「海空模様はどうかしら」 呆けた私は振り向くことさえできなくて、 きっと、ここが私の始まりだった

幕路藤

6年前

- 完 -