なんで、ここにあるの? ふらりと立ち寄った古ぼけた骨董店で、私は信じ難い再会を果たした。 黒髪を目の上で真っ直ぐに切りそろえた日本人形。片方の瞳だけ青いのが印象的で、赤い着物は愛らしい。 幼い頃、船のデッキから落として以来一度も見た事のなかったそれが、今私の目の前にあるのだ。 だいたい、瀬戸内海で落としたのに、何でミラノの骨董店にあるのよ? 私は店主にこの人形の入手先を尋ねてみることにした。
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店主は軽く肩を竦めると、顧客の情報を漏らすわけにいかない、と言う様なことをボンヤリ吐いた。そこで私も考える。 「これは大事な人の形見で、以前空港でひったくりにキャリーごと盗られてしまったの」 身振り手振り交えて、特に大事な人からの贈り物だった旨を強調する。伊達男は女に弱いはずだ。 「証拠もある。着物の返衿のところに名前が入っているはず」 間違いない。これは一点ものなのだから。あの日失くしたものだ。
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教えてくれないなら警察に通報する、と脅かすと、店主は顔をしかめて汚い帳面を引っ張り出した。 老眼鏡をかけて暫くページを手繰ったあと、何やらメモに書き写して私に渡した。 Corso Cavalotti xx, Novara ノバラ。確かミラノの西にある古い街だ。 「仕入れたのは去年の五月、その住所に卸業者の事務所があるはずだ。…で、そんなに大事な人形なら当然買い取ってくれるんだろうね?」
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元々私の人形なのに、と心の中では不満が渦巻いていたけれど、買い取らないなら渡してくれない雰囲気だ。 納得できない。でも異国の地ではうまく説得できる自信はない。諦めて買い取ろうかと思いバッグの中の財布に手を伸ばそうとしたとき。 「その店は違法なルートで骨董品を流しているだろう。それを知ってて貴方はこのお嬢さんから金を取るのかい?」 背後からの威勢のいい声に私は飛び上がりそうになった。振り向くと、
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「なんで、ここにいるの?」 私はこれまた信じ難い再会を果たした。 威圧感のある長身と眼鏡の奥の冷たい瞳の持ち主である初老の男は、私のよく知る人物だったのだ。 彼は冷静にイタリア語を操り、一銭も払わず店主から人形を譲り受けた。 「……伯父さん、何故ここに?」 伯父は旅行好きだ。確か、この人形を落とした瀬戸内旅行も伯父と一緒だった。 伯父は意味深に笑う。 「僕も探していたんだよ。その人形をね」
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「この人形を?一体どうして…」 私は少しくたびれてしまった人形を見つめた。確かに一点ものではあるが、これといって質が良いわけではないだろう。伯父がイタリアに来てまで探すような価値があるとは到底思えなかった。 私の怪訝な表情を読み取って伯父は微かに笑った。 「ただの人形なのは見かけだけだ」 「え?」 聞き返す私をよそに伯父はすたすたと歩き出した。 「人形が現れた。君もノバラを知るべき時が来たんだ」
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「…どういうこと、伯父さん。そこには何があるの?」 知りたかったのに問いは都会の雑踏に吸い込まれ、答えは得られなかった。 伯父は肩で風を切り、黙々と駅へ向かう。もともと寡黙な人だと親戚からは聞いていたけど、傍で見る背中はまるで科せられた重いものに耐えているかのようだ。 そういえば、私が伯父と一緒に同じ時間を共有するのは、あの日以来ではないだろうか。 私は列車に揺られる間、幽玄な人形を見つめる。
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私はなんだか不安になってきた。 ノバラとは、一体どこなのだろう? 彼は電車に揺られながらとても怖い顔をしていて、話しかけられる雰囲気ではなかった… 私の知る伯父はいなかった、いつも私の前では明るかった彼は、その日、私の恐怖の対象となった 恐ろしいほど静かな彼は、まるで空気の性質を忘れて音を震わせる事を忘れてしまったように見えた 「着いたよ…」とだけ言うと、彼はまた歩き出した。
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コルソ・カバロッティ。錆びた看板を下げた小さな店だった。伯父と私の来訪を認めた店番が奥に下がるのと入れ替わるように、その女性は店先に現れた。 「──丈司。待っていたわ」 深紅の着物。艶やかな黒髪。片側だけのブルーアイ。私の手にした人形と、それは瓜二つの姿だった。 「ノバラ、戻ろう。今度は僕も行く」 伯父は恭しくその人の手を取ると、すまない、と呟いて私を見た。 それが、私の知る伯父との最後の記憶だ。
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