ああ、もう、殺したい。 私は、あの子を殺したい。 今、殺したい。 ふいに人を殺したくなる時間が私にはあって、いつくるのか、よくわからないけれど、今日は友達の千尋の、あの、私を憐れむような目を思い出して、千尋に、殺意が芽生えた。 殺したい人はいつも違う。 千尋を殺したくなったのは初めてだ。 私は人生で出会ったほとんどの人を頭の中で殺してきたけれど、 私は一体頭の中で何度殺せば皆死ぬのだろう。
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締めて殺す。刺して殺す。殴って殺す。蹴り殺す。沈めて殺す。炙って殺す。轢き殺す。毒で殺す。薬で殺す。ガスで殺す。ぶら下げて殺す。ねじって殺す。引き裂いて殺す。晒して殺す。精神を殺す。社会的に殺す。偶然を装って殺す。事故に見せかけて殺す。被害者を装って殺す。悼みながら殺す。笑いながら殺す。泣きながら殺す。仕方なく殺す。感慨もなく殺す。居たから殺す。目についたから殺す。 そしてじっくり拷問して殺す。
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千尋は死んだ。 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。 千尋は私に殺された。 私には千尋を殺せる。 私だけが、自由に彼女を殺せる。 現実的に実行する事は出来ないけど、頭の中という私だけの世界の中では、誰だって殺すことが出来る。 千尋のことは、もうこれくらいにしといてあげよう。 次は、アイツだ。 私を笑い者にする、アイツ。
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私の彼氏、雄哉。付き合ってもう半年は経つ。一緒にいる時間が長いから、最も殺しているかもしれない。 私が何かをする度にこの男は笑う。さっき段差で躓いた。笑われた。二人きりになって手を繋いだ。笑われた。キスをした。笑われた。愛し合った。笑われた。 だから殺す。昨日も殺した。今日も殺した。明日も殺す。この男は私をみて笑う。私はこの男を殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。 何度も殺す。笑われた。殺す。
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千回目の彼の断末魔を聞いた時、ふと違和感を感じた。視線を自らの左胸に移すと、そこから鮮やかな、血が。現実の出血ではない。ただ私の一番深く閉ざされた場所から、どろりと何かが溢れている。 ──ああ、気付いてしまった。 私は誰かを殺す度、私自身にも刃を突き立ててきたのだ。現実に殺人を犯したい私を、実現にうつせない臆病な私を、私は何度も何度も何度も殺して、そうしてやっと、"正常な世界"を生きてきたのだ。
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なんて滑稽なの。ハッ、と笑いが零れる。こんなになるまで気がつかなかったなんて。だけど私は、沢山の人を殺してきた割に、あまり自分は傷ついていないのだと気づいていた。 罪悪感に苛まれながらも、自分を守ろうとしてるだなんて。 私は自分を殺せない。 じゃあ殺してあげる 気づくと憐れむような目をした千尋と、笑っている雄哉がいた。 …。 私は自分を殺せない。 私は自分を、殺させない。
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「っあああああああああああ!!」 ぐちゃぐちゃと歪な音をたてて、思考がズタズタに意識を形成する。 自分の孕んだ殺意が、衝動に、抑制に、矛盾に、耐えきれずに産声をあげる。 望まれず生まれたそれを抱えて、部屋の扉を開けて、階段を転げ落ちて、玄関の扉をぶち破るように外に出た。 これ現実なのだろうか? 生温い空気が纏わりつく。 私の足は、公園まで私を連れて行った。
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「ギィー ギィー ギィー」 こんな時間に? 終電も終わり、いつもなら静寂が包んでいるはずの公園で、おかっぱ頭の女の子が一人ブランコをこいでいる。 何て哀しい目をしているの。 その瞳の奥に、彼女は何を見ているのだろう。 胸が苦しい、息ができない••• このまま死んでしまうの 私 いや、私じゃない。彼女? 公園、ブランコ、おかっぱ頭 記憶が繋がっていく。 「やめてー」
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ハッと目が覚めた。息が上がる。心臓が破裂しそう。隣で寝ていた雄哉が寝ぼけ眼で私を見上げた。 どうした?そう優しく聞きながら。愛しい人が隣で眠っていてくれる。それがひどく私を安心させた。 明日は千尋とランチ。早く寝なきゃ。 でもさっきのはなんだったんだろう。うまく思い出せない。 考える内に意識はまた沈んでいく。 脳裏に一瞬、血塗れのおかっぱ頭と笑う私の残存を見た。 寝よう。
- 完 -