Between her lines

一冊の大学ノートを胸に抱いて、男は言った。 「案外ね、わかるものなのですよ。例えば声、或いは声、仕種、喋り方、立ち居振る舞い……あらゆることから人となりは判断できる。私の場合は文。いえ、筆跡ではありませんよ。文章を見ていけばね、手に取るようにわかってしまうのです」 男は歌うような調子で説明すると、大事なノートをパラパラとめくり、ある頁を探し出した。 「これとこれは、同一人物によるものです」

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「ご冗談でしょう!」 私は知らずに声を荒げた。 ひやりとしたものを胸の奥に感じながら、もう一度そのノートに目を落とす。 不鮮明な印刷コピーと、手書きで描かれた文章の二種類。

森野

13年前

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「文章には息づかいが宿ります。句読点の付け方、ですます調、言葉の選び方、言葉の組み合わせ方に至るまで。 とまぁ御託はこのくらいにしておきましょう。 塚本香苗さん貴方ですね、この文章を書いたのは」 塚本は驚きを隠せず、ビクッと跳ねた。 「あなたは筆跡だけでも誤魔化そうと印刷を行ったようですが、私には通用しません」 男は不鮮明な印刷物を塚本の面前に突き出した。 「犯人は貴方だ!」

aoto

13年前

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誰もが言葉を失った。 おそらく皆も、私と同じ心境のはずだ。 〝塚本が犯人の訳がない〟 谷崎も、千代田も、寺島でさえ、互いの顔を見やり、終いには私に対し、男への反論を託すとばかりに視線を集めた。しかし、私もまた皆と同じ。反論を思考することなどできず、男の迫力に固唾を飲むだけだった。 がーー 「わ、私が犯人だなんて、ずいぶん乱暴な物言いですね」 塚本は気圧されながらも、男をそう睨み返したのだった。

nonamenano

12年前

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男は平然と、いや、この緊張感を楽しんででもいるかのように塚本の視線を受けとめている。 「このノートは、行方不明の美奈子さんが記録していた鳥の観察日記。最後の記録は水曜、だから美奈子さんが消えたのはおそらくその後、そう言いましたね、塚本さん」 答えに迷う暇など、男は与えない。 「しかしこの火曜と水曜の記録をしたのは、貴方だ」 男は文章をなぞる。 「ただしこの文章は、『書かされた』もの」

Pachakasha

12年前

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「私はこの観察日記を見たとき、一目でわかりました。この火曜と水曜の記録からは、美奈子さんの息づかいが伝わって来ないのです。」 塚本の様子を伺うように、男は一呼吸おいた。 「細かいことはここでは省略するとして、塚本さんの文章は個性的ですからね。貴方のその才能が逆に仇となった訳です。」 私は、男と塚本を交互に見た。 冷静な男と必死の塚本。 しかし塚本は、それでも懸命に男から目線を外さなかった。

12年前

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「何を言いたいか、おわかりですか」 妙に勝ち誇った様子で男は続けた。 「つまりは、美奈子さんの失踪日を誤魔化すよう仕向けた共犯者がいる、ということですよ」 男がゆっくりとこちらに視線を向ける。その目は真っ直ぐ私を見ていた。 「そうですよね、貴方」 私は息を呑む。この男は、全てを見破ったのだろうか。 「違います!」 塚本が叫んだ。 「その人は関係ありません。そうよ、私が書いたの。私の独断で!」

misato

11年前

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発言したのは男で叫んだのは塚本なのに、視線は不思議と私に集まっていた。 「水曜から金曜の間、貴方は旅行へ行っています。木曜が失踪の日であれば、貴方は無関係を主張できる。そうですね?」 男の視線はねっとりと絡みつくようだった。獲物は逃さないとでもいうような、鋭い目。視線を外したら、負けのように思えた。 「塚本、もういいよ」 私はにこりと微笑んで、男を真正面から見据えた。 負けるわけにはいかない。

sir-spring

10年前

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「動機はなんだと思います?」 「わからない。あなたたちは仲が良かったのでしょう?」 そっか。なら、よかった。 そう、私達はずっと一緒だった。何もかもわかっていたはずだった。あの日、美奈子の抱えていた苦しみを知ったとき、私も塚本も同じだけ苦しむと決めた。彼女の名誉のためにもそれは誰にも知られてはならない。 「あなたには永久にわかりませんよ。書いてあることしか読み取れない、あなたには。」

翠川夫人

10年前

- 完 -