御影の塔

 コーヒーのボタンを押すと、自動販売機から出てきたのは、見慣れた黒い缶ではなく派手なラベルの清涼飲料水だった。缶を飾るかわいらしいキャラクターも、今日ばかりは無垢を装っているようにみえた。  販売機には非常用の連絡先が書いてあるが、コイン一枚のために時間をとられるのは割にあわない。  ぼくはあきらめて缶をゴミ入れに放り込むと、駅への道を急いだ。コーヒーなら駅前のチェーン店でテイクアウトすればいい。

14年前

- 1 -

黄色い看板が目印のコーヒー店は、通勤途中のサラリーマンで混雑していた。  腕時計で電車までの時間を確認する。  文字盤が揺れる———目眩か。  一瞬遅れて轟音が襲い、窓ガラスがビリビリと振動した。店の外から悲鳴が聞こえる。  慌てて店を飛び出すと、噴煙が上がっているのが見えた。

yonx

14年前

- 2 -

周りには同じように噴煙を見上げる人々。 口々に何かを叫んでいる。 「一体何があったんですか!?」 「御影の塔が爆発したらしいんだ…」 思わず隣にいた男性に聞いてみたところ、こんな返事が返ってきた。 「あ、ミカゲノトウが…って、え?ミカゲ?」 御影の塔なんて、知らない。 御影の塔を知らない素振りを見せると、その男性は不審者を見るような目でどこかへ行ってしまった。 ここは…ドコダ?

nonko

13年前

- 3 -

人々が見上げる先、そこに立つもの。それは東京タワーだった。展望台から煙が上がっている。 何台ものパトカーがサイレンを鳴らし、タワーへと猛スピードで向かって行く。 「御影の塔は封鎖します!一般の方は直ちに離れてください!」 ミカゲノトウ?何を言っているんだ? さっき自販機で感じた違和感。世界と歯車がかみ合っていない。

tati

13年前

- 4 -

チラッと腕時計を見た。おっと、いけない、電車の時間だ。今日は大事な約束がある。ぼくは集まってきた人々をかき分け、足早に地下鉄の入口に向かった。その時、2人組の警察官が行く手を阻むように近づいて来た。 「君、どこに行くんだ」 「え?地下鉄に乗るんですけど。。」 一瞬間があり、警察官2人は顔を見合わせた。警察官の1人が頷いたように見えた。 「君は、ハタナカヨシトか?」 それは祖父の名前だった。

tetch

13年前

- 5 -

「違います」と、ぼくは答えた。 「身分証明書を拝見できますか?」 ぼくはバッグから財布を取り出し、運転免許証を差し出した。 「やはりハタナカヨシトか。来るんだ」 「なにを言ってるんですか、違いますよ」 「証拠があるのにまだ言うか」 警察官は免許証を目の前に掲げた。そこには確かに祖父の名が記されていた。 「さあ、乗るんだ」 ぼくは押し込まれるようにして、パトカーに乗り込んだ。

noppo

13年前

- 6 -

東京タワー、いや、ミカゲノトウはまだ黒い煙をもくもくとあげていた。人々が口々に叫ぶ騒然とした一帯を、パトカーはすり抜けて行く。 「こちら、容疑者を確保しました」 助手席の警官が無線でそう言うと、後ろを振り返りぼくを睨んだ。 「お前、大変なことをしてくれたな」 芋洗坂を抜け、パトカーが到着したのは麻布警察署。 「さあ、すべて吐いてもらうぞ。なぜ、爆破してまで御影の形を変える必要があったのかを」

coco

13年前

- 7 -

遠い昔にじいちゃんと手をつないで歩いた夕焼けの日をぼくは思い出していた。ふたつの影が長く伸びて、自分がここにいると同時にどこか別の世界にいるという不思議な感じがしたのを覚えている。遠くには東京タワーが見えていた。 「じっちゃんにはな、まだやり残したことがあるんだ。タワーの影のことだ。あの形が偶然にも過去と未来をつなぐトンネルとなってしまっている。このままだと時の流れが狂ってしまうぞ」

tiptap3

13年前

- 8 -

証拠不十分で釈放されたワシは、由雄と共に婆さんの墓を訪れた。まったくよくできた孫だ。 あの日、計画通りにカフェから出てきた由雄と入れ替わり、なんとか警察の目をごまかす事ができた。免許証を交換しそこねたのは唯一の失敗だ。 「御影の塔」とは今回の作戦での暗号だった。直前に計画を察知した警察は厳戒態勢に入っていた。 とにかく世界の混沌は修繕された。過去においてきた婆さんも納得してくれるに違いない。

rain-drops

13年前

- 完 -