湖の畔に大きな大きな時計塔があった。何十年も住民に時を知らせてきた時計塔。 趣向を凝らした塑像など無い。ましてや全体の色はくすんだ茶色。とても美しいと言えるものでは無かったが、それ故に住民は愛着が湧いて皆大切にしていた。 だが、住民はこの時計塔を実質上守っている一族がいることを知らない。 その一族の存在は消されたものとなっていた。 これはそんな一族に産まれたアーシャ・シェバードのお話。
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シェバード家の仕事はただひとつ、時計の針を止めないこと。 【この時計の針が止める時、世界の時間も止まり滅びを迎える】 代々伝わるこの予言を信じ、一族は時の番人として時計塔を守ってきた。 その存在を消してきたのは時の破壊者といわれるリース、一族から身を隠す為。 アーシャ・シェバードは時計塔を守る次期、時の番人として幼少の頃から知識と武術を磨いてきた。見た目はごく普通の可愛らしい少女である。
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シェバード家特有の燃えるような赤毛と翠の瞳。アーシャは、それがあまり好きではなかった。鏡に映る自分を見るたびに、世間から隠れて暮らす自分の姿を嫌いになった。 時計塔の最上階。 その部屋には、大きな大きな人間大の砂時計があった。砂の代わりにエメラルドの宝石が少しずつ落ちる砂時計は、全ての時を司る魔具としてシェバード家が守り継いでいる。 これを壊されると、時計塔の針は同時に止まってしまう。
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今夜も一人、砂時計を見守る。正式な番人継承はまだだが最近は一人で任されることも多い。 砂時計に近づくと、ガラスに映る自分が見える。それが堪らなく嫌だった。が、今夜のアーシャは逃げない。確かめるように見つめ続ける。 デナーレは、美しいと言った。 こんな私を。 アーシャの胸が高鳴る。この動揺は、デナーレがリースだからかもしれない。…今夜も来る? 突然空間が揺れて、時の狭間からデナーレが現れた。
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アーシャの視線を受け、魅力的な、けれどもどこか皮肉っぽい微笑みを浮かべ片手をあげる。その仕草には親しみがこもっているように見えた。 「やあ、考えてくれた?」 浅黒い肌に彫りの深い精巧な顔。黒く濃い眉と同じ色の肩口で切り揃えられた髪。光の加減で色を変える瞳は絵本の中の悪戯好きな妖精を彷彿とさせる。 「ええ……でも、やっぱり信じられない。貴方の一族に伝わる予言は、私の知るそれと矛盾してるもの」
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デナーレは砂時計にそっと手を乗せ、中のエメラルドを覗きこんだ。 「早く解放してやらなくちゃいけないよ。このエメラルドが刻むのは世界の時間じゃない、崩壊へのカウントダウンなんだ。エメラルドが落ち切ったとき、世界が終わってしまう」 アーシャは思わずデナーレの手を砂時計から払いのけた。 「触らないで。大切なものなの」 そう言うとデナーレは哀しげな目でアーシャを見つめた。 「僕は君を喪いたくないんだよ」
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デナーレの表情に、心は揺らぐ。 砂時計のエメラルドの残りは目に見えて少ない。時間の経過によらず数日落ちないこともあれば、半日にぽろぽろと零れることもある。 なぜ言い伝えは異なるのか。 もしデナーレの言うことが本当なら、私たち一族はとんでもないことをしているのだ。 デナーレは目を細める。迷うアーシャの細い肩は、彼の腕の中に引き寄せられた。 「ほら、…僕の手に手を重ねてごらん?」
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アーシャは表面上では迷いながらも、拠り所が欲しい気持ちの方が強く、デナーレの求めるがままに従った。 手を重ねた途端、砂時計のエメラルドが動きを止めた。代わりにデナーレの手の温もりが急速に下がって行くのを感じた。 「これで君を喪わずに済む」 デナーレの手、そして全身が透け始めた。 デナーレの温もりが時を止めた。代わりにデナーレの時が加速された。 「アーシャ、いつまでもそのままで。さよな、、ら」
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デナーレは力強い光にかわり、動きを止めた砂時計へと飛んで行った。光がエメラルドに吸い込まれるように消えると、エメラルドがより一層強く輝きだした。そして人の力では動かなかった砂時計はひとりでに回転し、また時を刻み始めた。 シェバード家とリース家の予言には少しだけあやまりがあった。 砂時計は彼らの先祖代々の愛の力で回り続けてきたのだ。ただ許されざる二つの一族の愛は言い伝えられることはなかった。
- 完 -