ちーちゃん
…
…足音が…
段々と近づいて来る…
私が歩調を速めると、足音も大きくなっていく。
走ることができない。
ストーカー…それ以外有り得ない。
日も暮れた真っ暗な道の中、私は後ろを振り向けなかった。
振り向いた瞬間、大きな腕でさらわれてしまうと思ったから。
このままでは。そう思った私は、思い切って走ろうと、足を踏み込んだ。
その瞬間、あの懐かしい声が聞こえた。
「待って、ちーちゃん」
- 1 -
「……え?」
私をちーちゃんと呼ぶ懐かしい声。私のことをそう呼ぶのは、両親、妹、そして3年前に死んでしまった幼馴染の
「…たっちゃん??」
振り返る。そこには学ランを着た少年が1人。
嘘だ。だってたっちゃんは死んでしまった。ここにいるはずはないのだ。
「会いに来たよ、ちーちゃん。」
私がずっと好きだった笑顔でたっちゃんはそう告げた。
- 2 -
「本当にたっちゃんなの?」
「うん!そうだよ!君の事なら何でも分かるたっちゃんさ」
例えばと続け
「小4の時までおねしょしてた事、小5の水泳の時間着衣水泳の時、下着忘れちゃってノーパンで過ごした事、校内でかくれんぼしてた時、体育倉庫に閉じ込められた事とか。それから」
「やめて」
恥ずかしさのあまり叫んでしまった。本当にたっちゃんなんだ。それでねと続け
「忘れ物を取りにきたんだ」
笑顔が眩しかった。
- 3 -
「忘れ物って何なの?」
「うん…学校にね」
「探すの、手伝ってあげるよ!」
もう見られないと思っていた幼馴染の笑顔が嬉しくて、もっと一緒に居たくて、私は忘れ物を取りに行くのに付き合うことにした。
「ここだよ」
私達が一緒に過ごした教室だった。日が暮れ掛かってしんとした教室は、何だか肌寒かった。
「それで、何を忘れたの?」
「…」
「…たっちゃん?」
たっちゃんの顔が、よく見えない。
「…実はね」
- 4 -
たっちゃんは机の中を探り出した。今は誰の席なのかも分からないのに。
「あった」
そう言ってたっちゃんが取り出したのは、A4サイズの紙一枚。手渡されたそれを見て、わたしは凍りついた。
私の顔とヌード写真の合成画像。
下品で粗野な暴言の羅列。
中学の頃クラスに貼り出された記憶が蘇る。誰のしたことなのか、分からずじまいだった。
「どう言っていいのか分からないけど」
たっちゃんが顔を伏せた気がした。
- 5 -
「これをやったのは僕なんだ」
悪戯坊主みたく、照れながら笑って許しを請うかと思っていたけれど、たっちゃんの顔からは大好きな笑顔が消えていた。
知っていたよ。
たっちゃん以外にいないじゃないか。
おねしょを言いふらしたのも、スカートめくりをしたのも、体育倉庫の鍵を閉めたのもたっちゃんだ。
悪戯は小学生の頃に卒業しておくべきだったんだ。壊れてしまった関係を後悔していたこと、私は知っていたよ。
- 6 -
「ごめんね。僕の悪戯で何度も泣かせた」目の前にいるたっちゃんはもう、悪戯坊主ではなくて…。死んだから卒業できたの?違うよね。きっと生きていたってそのうち、大人になったたっちゃんに、出会えたはずだった。
死んでしまったらもう、やり直せない。
「ばか」
ひとしずく、涙がこぼれたら、もうダメだった。3年前に流し切ったはずの涙が、後から後から溢れてくる。「悪戯で泣かされたのなんか、どうってことない」
- 7 -
「そう」
暗くなった教室で、たっちゃんの顔はよく見えない。笑っているのか泣いているのか、奇妙に歪んだ唇だけが焼きついて。
「なら、今から言うことを聞いても泣かないでね」
背筋が冷えた。
「3年前、僕は君の部屋に忍び込もうとして、ベランダから落ちて死んだ。下着を盗ったのは僕。…今もまだあの部屋には、盗聴器と盗撮カメラが残ってる」
卒業できなかった悪戯はいつの間にか、悪戯では済まなくなっていたんだ。
- 8 -
私は恐怖のあまり声も出なかった。
頭の中がパニックで、何がなんだかわからずでも一つだけわかったことがあった。
"ここから逃げなきゃ"
と思ったが、すでに手遅れだった。
「あのね、もうひとつ忘れ物があるんだ」
その続きを、聞きたくなかった。
だがここまできたからには聞くしかないと、震える身体を抑え
「もうひとつの忘れ物って何?」と聞いた。
奇妙に歪んだ唇から
「ちーちゃん」
と私の名前を呼んだ
- 完 -
作品情報
ちーちゃん
#1851
- リレー期間
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1年1ヶ月