眠れる姫の憂鬱

「そうですとも。ええ、ええ。何でもあの姫様は、目覚めたくなんかなかったそうですよ」 奇妙に歪んだシルクハットを重ねて被る、これまた妙ちきりんな小男が、目立つ鷲鼻をひくつかせつつ披露したのは、御伽の国の裏話だ。ティーカップをカチャカチャうるさく鳴らして聞き手をイラつかせる。 「直接聞き及んだ話によればね、あらゆる姫様にとって眠りは一種のストみたいなものだってんです」

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糸車の針、毒りんご。 魔女の呪いか、数奇なる運命か。 御伽話としては申し分ないエッセンスだが、「現実」はそうではないらしい。 「考えてもみてください、やれ継母の嫉妬だの、やれ他者の逆恨みだの。姫様がたも大変でしょうよ。加えて、綺麗で優しい理想のお姫様でなくっちゃあいけないんです。」 そう言って男は、自身の紅茶に13個目の角砂糖を入れた。 「そりゃ、何かを理由に眠っちまいたくもなりますよねえ」

12年前

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「けれども、物語の中において、お姫様は"目覚めなければいけない"。そうする必要がある。ある意味では起きることこそ、姫の宿命であり、最大の仕事といってもいいでしょう。起きることが見せ場なんて考えればおかしなことですがね」 自虐的に笑うと、男は手持ちぶさたに角砂糖を積み上げる。 「眠りを起こすのはいつだって王子の役割です。王子が愛情を示すことで姫は、周囲の吹聴を逃れ、凛と権力を発揮できるのです」

aoto

12年前

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そこまで話すと男は頭の上のシルクハットからティーポットを取り出すと、既に34個も積んだ角砂糖の天辺に載せた。 角砂糖は今にも崩れそうにフラフラしたが、男は構わずに話しを続けた。 「いや、実はね。ここにも眠り姫が居りまして」 男は、ティーポットの蓋を外した。中には茶色掛かったグレーの小さな毛の塊が丸まって、寝息を立てていた。 「ヤマネなんですがね、実は、とある国の姫君なのです。しかも王子無しの物語」

真月乃

12年前

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男はにやりと口角を上げて話を続ける。「姫君がどんな運命を辿ってきたのか非常に興味深いお話でしょう。ならばこの紅茶を一口お飲み下さい。そうすると全てが見えるでしょう」 言われるがままに紅茶を一口。あんなにも砂糖を入れたと言うのに脳天を突き抜けるほどの苦味が襲う。 不気味に笑う男は囁いた 「そんな顔をなさらずに。これからあなたを待ち受けている運命やいかに。夢の国へ行ってらっしゃいませ。」

ちゃむ。

12年前

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……目が覚めると、森の中にいた。 胸のあたりがじんわりと温かい。 服の内側のポケットを覗くと、くるりと寝返りを打ち、すやすやと寝息を立てるヤマネが一匹。軽く揺すってみたが、目覚める気配はない。 薄暗い山路を辿って人里に下りると、暗い顔の村人に声をかけられた。 「旅人さん、あんたは逃げなくていいのかい?」 何のことかわからず事情を聞くと、村人は、この国に起こりつつある悲劇を話してくれた。

12年前

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今から丁度一年前、この国の王様が亡くなったこと。 一人残された幼い姫君の後継人を巡って、国の重役であった大臣らが争い始めたこと。 そんな彼らに嫌気がさしたか、はたまた何かの事件に巻き込まれたか、ある日姫君が突然姿を消してしまったこと。 それからというもの、王族の不思議な力に守られていたこの国は荒れ果ててしまった。皮肉なことに、大臣たちは姫君が消えた途端に我先に国の外へ逃げ出したらしい。

美梨亜

12年前

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どこかできいたようなお話。ひどくありきたりな。どんな物語の登場人物も結局は自分勝手。 「あなたもですよね?」 甘い甘い紅茶の香りがする。脳裏に浮かぶいくつものシルクハット、歪な角砂糖の塔。 「あなたもそう。とても、自分勝手。目覚めてくれない眠り姫」 ポケットの中で、ヤマネがそう言った。 「ありえないですよ、姫。王子のキスでハッピーエンドなんて。何もしていない、あなたが」 ならば永遠に眠らせて。

あきけい

12年前

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目覚めない姫の話なんて成立するものか。 「永遠の眠りなんてありません!」そんな台詞が口からこぼれた。 その瞬間、ヤマネがポケットから飛び出し、あの鷲鼻の男に姿を変えた。 「仰る通り、お目覚めの時間ですよ」 そう言うと、甘ったるい紅茶の香りと共に消え去った。 ─── 目覚めると、テキストの隣には冷めた紅茶があった。机の上の時計は午前2時を示している。 永遠に寝ていたいと独りごちてまたペンを握った。

黒葉月

12年前

- 完 -