「便乗値上げだと……!!」 とあるパン屋の中で。 私こと神田 凪は、絶望していた。 理由は簡単。 大好きで大好きで仕方がないこしあんぱんの値段が、上がっているのだ。 消費税が8%になった分だけなら、まだ許せる。しかし!定価まで上げてやがる! こんなこと、あってたまるものか。 抗議だ!ストライキだ! 幸い、パン屋のおじさんは私の伯父だ。これほど、私にとって文句の言いやすいパン屋は無い。
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「伯父さん!どういう事なの!?105円から130円なんて私は認めない!」 お店のレジで作業をしていた伯父さんに詰め寄る。抗議だ、断固反対。 「そうは言ってもなぁ〜凪ちゃん…材料の原価も上がってたし…」 そう言うと伯父さんはパソコンのエクセルを開く。事細かに打ち込まれたそれは、こしあんぱん一つ作るのにいくらかかるのかが計算されていた。 「てなわけで、商売なんでごめんね!便乗させてもらうよ!」
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「ううっ…」 私は断固反対するつもりだったが、コストの計算書まで見せられては、これ以上反対するのも気が引けてしまった。 仕方なく引き下がろうとパソコンから離れようとした私だったが、ふと、エクセルのデータに気になる点が見つかった。 「ねえ、この計算書の『その他費用』って何?」 「え?」 「この費用だけ随分かかっているみたいだけど…」 「え、えっと、そ、そりゃあ、その他諸々の費用があってね…」
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「凪ちゃんには敵わないな」 散々問い詰めて、伯父さんはようやく白状した。企業秘密だから内緒に、という前置きのあと、その他費用の正体を教えてくれた。 「特別な塩を使ってるんだ。ひと摘み入れるだけで、あんの甘さと旨さが際立つのさ」 「その塩が、美味しさの秘密だったんだ」 「揚浜式っていう昔ながらの製法で作られてるんだが職人さんの後継者がいなくてね。少しずつしか作れないから値段も下げられないんだよ」
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「じゃあ、その塩が今よりもっと希少になったら…?」 「うーん、こしあんぱんもまた値上げをするか…最悪生産中止だね」 なんたること!伯父さんのこしあんぱんが地上から消えてしまったら、それは私だけでなく全人類にとっても大損失となるだろう。身内贔屓は抜きにしても、ここのこしあんぱんは本当に美味しいのだ。 「伯父さん、私に三年頂戴。三年で、また伯父さんが105円でこしあんぱんを売れるようにしてみせる」
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そう啖呵を切ってから三日。 調べれば調べるほど揚浜式製塩の貴重さが大きな壁となって立ちはだかる。 あんなに手間暇かけた塩入りの餡を平らげていたなんて…。私は130円で買ったあんぱんが、初めて苦労の結晶に見えた。 伯父さんは、あんぱんにおける塩の価値が分かってる。だから私の無茶ぶりも笑って「期待してるよ」と言ってくれた。 なんとかしてあげたいのに。 私はこのやり切れない想いをツイートした。
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@nagi_anpan 作るのが大変だってのも、作る人が少ないってのも、分かってる。 でも揚浜式の塩を、私は無くしたくないの。伯父さんの為にも。 どうしたらいいんだろう。 ピロリン♪ 送信後、さっそくリプライが返ってきた。 @salt_daisuki @nagi_anpan じゃあ、君が揚浜式製塩の跡を継ぎなよ。そしたら、揚浜式の塩は無くならないよ。 私が、揚浜式製塩の後継者になる...。
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それはとても魅力的な提案ではあったが、問題もあった。 ”潮汲み三年、潮撒き十年” それが揚浜式製塩の技術を継承するのに必要とされる時間ということだった。 「間に合わないわ……!」 私は唇を噛んだ。 仮に自分が後継者になれても、その間にあんぱんが無くなっては意味がないのだ。 何か、何かないの。 祈るような気持ちでネットを巡る中、私は遂に、一つの光明を見出した。 『全国あんぱん選手権』
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その名の通りあんぱん文化の伝統に恥じない、日本一のあんぱんを決定する大会だ。 優勝作品は…日本の文化継承の為、 観光支援団体から原材料の支援と、全国各地であんぱんのPR活動を実施!? 「…これだわ…やるしかない! 私が跡を継ぎたいのは、揚浜式製塩よりも、伯父さんの作るあんぱんよ!」 伯父さんのあんぱんは、全国に通用するはずだ…! こうして私は決意した。 日本一のあんぱん職人になることを。
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