今日もダメだった。 メールの送信ボタンを押せないまま、すでに5日が過ぎている。「ポチッと押しちゃえば良いよ」響子は何度も自分に言い聞かせている。
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お察しのとおり、メールは気になるあのバカあてに書いたもの。何度も書き直して、自然な雰囲気を出そうとすればするほど、ぎこちなくなっていく気がする。絵文字ひとつを何度選び直したかわからない! 「明日の自分、おねがいね」響子はそうつぶやくとケータイを閉じた。
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眠れない。あの時ボタンを押していれば、、、手探りで携帯を取り、あいつと一緒に撮った写真を見る。携帯の時計はAM2:00を過ぎている。 どれもこれも、あいつは変顔ばかり。 「こっちの気持ちも知らないで、バカ…」 ふと、あいつの横で眉間にシワを寄せている自分に気が付く。 胸が熱くなり、涙が溢れて横につたっていく。 私、この時どうして笑ってあげなかったんだろう…。
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響子はメールを開くと、今度は勢いよく打ち始めた。宛先は空欄のまま。想いのたけを全部こめて。いつもは控えるハートマークも今回ばかりは炸裂だ。人には見せられたものじゃない。 それはちょっとしたスリル。宛先を選択して送信ボタンを押すだけで、あいつに届いてしまうのだ。 気づくとAM3:00。感情を出し切った達成感と、ここちよい眠気。響子はメールをそのままにケータイを閉じると、すぐに寝息をたてた。
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「はいちーず」突然、後ろから手を回し、ケータイのカメラを向けるからびっくりした。 「もう、古いなぁ。なんだよチーズって〜」文句を言いながらも笑みがこぼれる。 パシャ! 「また、変顔〜?友達と笑ってやるから私のにも送っといてよ」本当はあいつの隣でとびきりの笑顔ができたこの写真がほしくてたまらない‥ ふふ‥ にやけながら響子は眼を覚ました。もう朝か。枕元のケータイを開くと、あっと声を上げた。
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ケータイの画面に表示されているのは「送信完了」の文字。まさか、と思い送信フォルダをチェックする。最悪だ、昨日眠れずに書いたメールはしっかりと送信されていた。 どうしよう、こんなの私のキャラじゃないよ。エイプリルフール?日付が全然違う。罰ゲーム?あまりに失礼だ。言い訳がぐるぐると頭をまわる。 メールの着信音が鳴ったのはそのときだった。
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着信名はもちろんアイツ。 3秒ほど固まったが、勇気を振り絞って通話ボタンを押した。 「もしもし…」 「はい…」 いつも「はい」なんて言わないのに! 「俺だけど…」 「し、知ってる」 「メール読んだ…。ホンキ?」 今なら取り消せる?どうやってどまかす!?とか一瞬頭の中を駆け巡ったけど、もうここまで来たら腹をくくろう。 「うん…」 「じゃあさ、ちょっと来て欲しいところがあるんだけど…」
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待ち合わせに指定されたのは、大きな病院だった。 「ここんとこ、ばあちゃんの具合が悪くてさ。最近口癖は、死ぬ前にお前のお嫁さんが見たい、ばっかりなんだよ」 「お嫁さんって、誰があんたなんかと…」 「お嫁さんは大袈裟だけど、あのメールが本気なら、彼女としてならいいだろ?ばあちゃんに嘘はつきたくないからさ」
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以上が私と彼とのなれそめ。おっちょこちょいも、時には運命を開く大きな足がかりとなるものだ。 あの日以降、おばあさまもすっかり元気になられて、今は孫を見るまで死ねないなんて笑っている。 先日も、彼と私と三人でショッピングに出かけた時にそんなことおっしゃるから、こう言ってさしあげたんだ。 「あら、それではおばあさまの命もあと十月十日(とつきとおか)かしら?」
- 完 -