降りしきる大雨の中。 ひと気の無い交差点の電柱のそばに、小さな箱が置いてあります。 中にいたのは、すぶ濡れになった仔犬です。 湿ったダンボールの中。 ぴったりはりついている茶色の体毛。 濡れた鼻先。 べちゃべちゃになった、薄い毛布。 書かれてあった「拾ってください」の文字も、ふやけてしまって読めません。 これは 仔犬ーマルが拾われるまでのちょっぴり温かいお話です。
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ひと気の無い交差点に誰かがやってきました。 一人目のその人は、仕事帰りの女の人でした。彼女は雨に打たれるマルに気がつくと、傘を差し出して言いました。 「…ごめんね、うちのマンションには連れて行けないの…代わりにこの傘をあげるね。ここを通る誰かが君に気がついてくれますように…」 彼女はマルを拾ってくれる人ではありませんでしたが、彼女のくれた傘で、マルは冷たい雨に濡れなくなりました。
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二人目のその人は、明日のゴミを出しに来たおばさんでした。 「…あらあら、仔犬じゃないの。雨には濡れないけど…毛布が濡れて冷たいわね。 …あぁ、そうだ。粗大ゴミに出そうと思ってたこのひざ掛け、あなたにあげるわね。」 そのおばさんも、マルを拾ってくれる人ではありませんでしたが、おばさんがくれたひざ掛けでマルは心も体も暖かくなりました。
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三人目のその人は、この近くのゴミを回収しに来たおじさんでした。 「ん?ワン公、こんな雨ン中傘差して一人ぼっちか?…そんな顔すんなよ。飼ってやりてえのは山々だが、カミさんがうるさくてよ…。そだ、これで勘弁な」 おじさんは缶の蓋にパンを入れてマルに差し出しました。 「マルさーん、次行きますよー」 「お〜う!んじゃな、ワン公!」 マルは同じ名前の人に出会えた事で心もお腹もいっぱいになりました。
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ところが、四人目に来たのは悪いおじさんです。 伸びっぱなしのヒゲに、眉間には深いシワ。我が物顔の大股で、見るもの全てが気に入らないといった風の彼の目に、マルは止まってしまったのです。 「なんでぇ、犬ごときが」 そう言うなり、おじさんは膝掛けを奪います。 マルも必死に吠えて抵抗しましたが、相手が大の男では、どうしようもありません。 場所も交差点から、見えづらい道の脇へ変えられてしまいました。
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そこにはもう一人のおじさんがいました。服はぼろぼろ、髪やヒゲは伸び放題で、地面に座ってうとうとしていましたが、マルを見つけるとにっこり笑いました。 「なんだ、仔犬。お前も家がねえのか、俺と一緒だよ」 おじさんは歌を歌いだしました。それはへたくそな歌でしたが、不思議とマルは優しい気持ちになりました。一緒に寄り添ってくれる人の、なんと温かいことでしょう。 いつしかマルはすやすやと眠っていました。
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夢の中でマルはおじさんの歌声に合わせてクルクルと、自分のお団子の様な尻尾を追いかけて踊りました。 周りには傘の女の人とひざ掛けのおばさんと、パンのおじさんも輪になって踊っています。 マルは嬉しくてもっと早くクルクルと踊りました。 ところが、急にあの意地悪おじさんが輪の中にバタリと倒れこんできました。 マルはびっくりして目を覚ますと箱から飛び出て、意地悪おじさんの匂いを追いかけ交差点に走りました。
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屋根は剥げ、階段も傾いたオンボロのアパートの1階。意地悪おじさんの匂いは、交差点から、そこで途絶えていました。 裏手の、大きな窓から中を覗くと、どうしたことでしょう。 夢のとおりに、意地悪おじさんはバッタリと倒れていたのでした。 マルは大きな声で吠えました。何度も、何度も。でも、意地悪おじさんはピクリともしません。 待っててね、おじさん。 マルは、助けを呼びに行くことにしました。
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表の通りに出たマルは、必死に声をあげて助けを呼びました。 すると、マルに優しくしてくれた人々が、マルの様子を見に来てくれたのです。 マルは皆を意地悪おじさんのアパートまで連れていきました。 「人が倒れてるぞ。ワン公お手柄だ!」 こうして、意地悪おじさんは助かったのです。 「ありがとう。お前がいなかったら、俺はどうなっていたかわからない。これからも一緒にいてくれないか?」 マルはワンと吠えました。
- 完 -