その駅についたのは、ようやく春らしくなってきた時だった。 「おーい、利佐ちゃんこっちこっち」駅前のロータリーで、男の人が手を振っている。 「おじさん!」 わたしは、早足でおじさんのもとへ駆けよった。 「よう来たよう来た。遠かったし、疲れたやろう?」 わたしを気遣うおじさんの言葉が、心の中に染み込んで来る。
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「荷物はそれだけかい?」 「うん」 おじさんはわたしのバッグを軽々と持ちあげ、停めてあった乗用車のトランクに入れた。 「さあ、乗った乗った」 「ありがとう、ヤスシおじさん」 昔と変わらない風景。おじさんの優しさもちっとも変わらない。シワは少しだけふえたかな。 変わってしまったのは、わたしだ。 まさかおじさんも、次に会うときわたしが前科持ちになっているだなんて夢にも思わなかっただろう。
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会社のお金を失敬したのは、はじめは出来心からだった。誰にも気づかれないとわかると、次第に金額も頻度もエスカレートしていった。 しばらくおじさんのところにでもご厄介になったらどう、気分転換もかねて。釈放後、そう提案したのは母だった。 「ずっと居たっていいんだからね。どうせ部屋は余ってるんだから」 「ありがとう、おじさん。ごめんね、無理言って」
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助手席の窓を開けると、春らしい風が吹き込んできて、私は髪をおさえた。遠くに梅が咲いている。空はどこまでも青く、ここにきて良かったと心から感じた。 「ラジオ、つけていい?」 私はすっかり気分が軽くなっていた。
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ラジオからは各地に出現した放射能物質によるホットスポットのニュースが流れていた。 世界は変わっていた。私が懲役で堀の中にいる間に。ふと、隣にいるおじさんの顔を盗み見る。眉間に皺がより、余計老けて見えた。 「やっぱ、ラジオ切って良い?」 一見すればわからない。ベクレルなどシーベルトなど、一般人の前科持ちには全くもって関わりのない話だ。そして、巡る季節には 直ちに影響はないのだーー。
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「なんじゃあ?点けたり消したり変な子じゃな~好きにせい」そう言ったおじさんの顔はどことなく安心したような顔だった。 私が何か言おうとしたらおじさんは遮るように言葉を紡いだ。 「利佐ちゃん、おじさんは何も聞かん、迷惑とか思っとらん。ゆっくりしたらええ。」 おじさんの優しさに自然と口角がゆるくなるのを感じる。が、不自然な話題転換に違和感を覚えた。『放射能物質』この単語がいやに耳に残ったーー
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おじさんの家に到着し、自分の部屋へと案内され一息つく。昼食は少し遅くなるそうだ。 利佐は畳に寝転がり、携帯電話を開く。なんとなく先程の放射性物質について検索。一通り調べ終え、物思いにふける。 (罪ってきっとこういうことなんだな…) 善悪の判断を誤った時、罪は爆発する。そして周りの人達に不安感、不信感、怒りや悲しみ、諸々の感情を抱かせて心を汚染して行く… 利佐はいつの間にか眠っていた。
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何かの夢を見ていた気がする。 ただ、ひどく悲しい夢だった。そんな気がした。 それを思い出すのが嫌で、利佐は目尻から伝う雫の跡を拭って起き上がった。畳はひんやりとして、汗を吸ったせいか少し湿気ていた。 起こした身体から、一枚のタオルケットが滑り落ちた。 (かけてくれたんだ) 時計を見ると、昼を少し回っていた。起こさずにそっとしておいてくれた、その行為がありがたかった。
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おこさないように、せいいっぱいにそろりとタオルケットをかけてくれるおじさんを思い浮かべて、利佐の心はきゅんとした。私はひとりじゃなかった。ずっとひとりじゃなかったのだ。タオルケットに隠れてわあわあ泣いた。 罪はしっとりと降りつもって。いろいろな人を傷つけてしまった。いろいろなものを無くしてしまった。 それでも、優しい人と、生きていく。 ごはんが炊けるにおいがして、利佐のお腹はぐうと鳴った。
- 完 -