桜花抄

運動会の練習の風景を運動場の隅から見ていた。 ずっとずっと昔、僕はあの中に混ざれなかった。リレーの選手に選ばれない。綱引きも君は体が弱いからと混ぜてくれない。運動会当日の独特の一体感が気持ち悪いくらい苦手というより混ざれない自分が辛くて欠席していた。 僕がいなくてもみんな楽しいんだ。それが辛くて学校に行かなくなった。 僕は健康な体が、友達がほしい。 ずっと逃げてきた。そろそろ学校に行こうか。

11年前

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「優希、本当にいくの⁉︎」 台所で洗い物をしていた母がとんできて、僕を宇宙人でも見るような目で眺めている。 「口開いてみっともないよ、母さん。さっきも言ったけど、学校に行くよ。」 「ああ、いってらっしゃい…。」 「ん、行ってきます。」 外に出るのも久しぶりだった。ちびっこが横断歩道を駆けていく。季節はいつの間にか一周していた。風に舞う桜が髪の毛をかすめていく。 この坂懐かしいな…。

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桜舞い散る坂道を、一歩一歩踏み締めながら登って行く。 さっきのちびっこが坂の上を駆けて行く。背中の真新しいランドセルが春の陽射しを照り返す。 ふと、一年生の入学式の時の僕が視界の隅に飛び込んで来て、僕を抜かして行った。 思い出が溢れて来て、懐かしさに心がときめいた。 なのに… 僕は急にその場しゃがみ込むと、胃袋がひっくり返ったのか…その場に苦い胃液を吐いてしまった。 皆の笑い声が、聴こえる。

真月乃

11年前

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それは悪意に満ちた嘲笑、ではない。楽しそうなさざめき。 ただ、その輪に僕が入っていないだけ。微笑む皆の目に、僕が映っていないだけ。 好きの反対は無関心、とはよく言ったものだ。誰も僕に興味を持たない。誰も僕に期待しない。僕はこの広大な宇宙の片隅で、1人取り残されてしまう。 やっぱり、このまま帰ってしまおうか…そんな考えが頭をもたげた時、 「あら、須藤くんじゃない」 後ろから、声を掛けられた。

11年前

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僕は袖で口元を拭いながら声のした方へ振り返ると、髪の短い女子中学生が僕の後ろに立っていた。 「須藤優希くんよね?三年C組出席番号25番、体が弱くて一年の体育祭以来学校に来てないでそれから廊下側一番後ろの席が固定のままで高校生なら確実に留年だけど、今年度今日が初登校になるのかしら?体はもういいの?」 たった今嘔吐したっと言いたい所だけどその前に、随分と僕に詳しい人が話しかけてきた、とまず思った。

アオトキ

11年前

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「…………」 「大丈夫?顔色が悪いようだけど」 僕が返答に困って黙っていると、彼女は勝手に自己紹介を始めた。 「私はあなたのクラスの委員長。一応、一年の時も同じクラスだったのだけど…覚えていないかしら?」 俯いた僕に顔を見せるように身を屈めると、快活そうな顔が覗き込む。「さぁ」と咄嗟に顔を背ける。 学校に行こうという気持ちがもう、どこか消えてしまった。 「せっかくなので一緒に行きましょう」

トウマ

11年前

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「……嫌だ」 僕は心からそう言った。 ああ、そうね、仕方ないのよね。無理しないでね。見てないけれど、彼女は今、そんなカオをしているんだろう。 みんなと一緒に待ってるわ。と。 「…いい、行かない…ごめん」 再び押し寄せた嘔吐感。もう出すものもなくて、僕は近くの電柱に手をついた。涙が出ている。吐けば誰だってそうなる。 彼女のカオは 想像よりもずっと悲しそうだった。 「こちらこそ、ごめんなさい」

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強引が過ぎたみたい、と俯いた彼女は、申し訳なさそうに言葉を継いだ。 「私ね、小学生の頃はあなたと同じだったの。虚弱で滅多に登校できなくて、席はずっと窓側で」 「…うん」 相槌は自然と出る。僕の嫌いな同情じゃなく、共感の引力を感じたから。 「誰か一人でもクラスの人に、気にかけてもらえてたら嬉しいなってずっと思ってた。でも実際は…」 好奇の目しかない。分かるよ。それで現実に圧迫されるんだ。

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僕はひとりでいいんだ。賑やかな大勢の中より、ひとりで桜吹雪に吹かれているだけでいいんだ。 なんとなく、なにかに流される毎日のなかで、僕はただ生きている。 いや、違う! 嘔吐で、汚れを出した。外に出ようと思ったのは、健康と友達が欲しいから。僕は確かに僕を生きている。目の前の彼女に言った。 「あの…さっきはごめん。やっぱり、一緒に行こう」 これから、全てが始まるんだ。僕は一歩、踏み出した。

望月 快

9年前

- 完 -