少し伝えたいことがある。 そう呼び出され、なぜか学校の調理室にいた。 だいたいの言われそうな内容はわかっている。 なにか言われたら、こう言い返そう。 そんなことを考える。 しかし、その言葉は頭の中を右から左へ流れ、しまいには形が不鮮明になり消えてしまう。 その繰り返しだった。 約束の場所で待ちながら、来なければいいと思っていた。 来なければ、空気のような存在でいられるのに。
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実際には十五分も待たされなかった。 音も無く戸が開き、呼び出した水沢さんと、その後ろから三人の教え子たちが、やや緊張を滲ませて入ってくる。 落ち着くために、教室の隅にいた私を認め、四人の女生徒が歩調を急がせた。 「あの、先生……」 言いにくそうに口火を切ったのは、やはり水沢さんだ。目を閉じ、深く息を吸って、左手で胸を押さえる。そして、言った。 「あたし達、いじめ、してます」
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「えっ…いじめ?」 「はい。同じクラスの田辺さんを…あの、先生、聞いてますか?」 「あっ、うん。なんだ…いじめかぁ…」 告白だとばっかり思っていたので、拍子抜けしてしまった。『ごめんな、先生には奥さんがいるんだ』と、心の中で練習していた台詞が泡のように消えていった。 「なんだって何ですか!」 当然怒り出す、後ろの女生徒。 「スマンスマン。それで…田辺さんに具体的に何をしたんだ?」
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水沢さんは少し答えにくそうだったが、少しずつ話し始めてくれた。 「例えば…移動教室の間に売店のパンを大量に田辺さんの机に置いておく、とか…それから…」 「ちょ、ちょっと待て」 俺が遮ると水沢さんはキョトンとした顔つきになった。 「なんですか?」 「パンを大量に置くっていうのは…いじめか?」 すると後ろの女生徒がまたもや口を出してきた。 「だって田辺さんの嫌いな焼きそばパンだけを置いといたんです」
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それは確かにいじめだな、と言うにはあまりにも特殊というか独特というか。とにかくリアクションに困ってしまった。 「そっかあ……他には何をしたんだ?」 「あとは田辺さんの一回読み終わった図書室の本をこっそり全部返したり」 「休み時間に安眠してるところに、妨害目的で毎回話し掛けたり」 「田辺さんが日直だった時に、『田辺さんがやっても時間の無駄だから』って言って、仕事を全部奪ってやったり」
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何だか変な事例が多過ぎて頭が追いつかなくなってきた。 「ま、待て。わかった、お前らは田辺にいじめをしてるんだな?」 全員が無言で頷く。 「そこはわかったんだが一つ聞くぞ?田辺は、それを悲しんでたか?」 今度は全員が顔を見合わせる。こんな時にあれだがミーアキャットを思い出した。 「あんまり…」 「てか気付いてないかも」 「昨日はありがとうって言われた…」 「でも先生、私たち反省してるんです!」
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「だがな、田辺にいじめられているという自覚がなければ、いじめは成立はしないんだ」 「でも先生」 「だから、今からここに田辺を呼んで、確認を取ろう」 言うと、四人は押し黙ってしまった。 四人に隣の準備室に隠れているように言い、放送をかけてもらって、田辺を調理室に呼び出した。 「先生、何か用ですか?」 頬を赤らめた田辺が入ってくる。 あれ、呼び出された田辺は何かを期待してる…? 「なあ田辺、実は」
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「いじめの話なんだ」 「なんだ…いじめかぁ…」 全く同じ反応である。 「田辺、いじめられてんのか?」 「えっ。いじめられてるんですか?」 だよな。 「ほら、嫌いな焼きそばパンを大量に机に置かれたり…」 「ああ、家族みんなでおいしくいただきました」 「いじめられてる自覚は?」 「全く全然ありませんけど」 だよな。 「なんかみんなすごい優しくしてくれるんですよねぇ」 ははは、何でかなぁと笑う田辺。
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笑う田辺の視線の先に四人の女生徒。リボンで彩られた小箱を持って笑っている。 「先生、お誕生日おめでとうございます!五人で計画したんです、先生へのサプライズ。」 ーーなんて素敵な誕生日を想像しながら、次の授業の教室へ向かって廊下を進む。 今日で36歳になる自分に少し笑った。チャイムまでまだ時間がある。 「先生!」 突然の声。振り返ると、そこに水沢がいた。 「少し伝えたいことがあるんですけど…」
- 完 -