Yが死にました。今日付の新聞の地方面に小さな写真と共に報じられていました。死因は交通事故。 私は昼前まで泣き続けていました。しかし、どこかでほっと落ち着いたのです。私とYの死は無関係で、責められることはないのだと。 私とYが出会ったのは、ずいぶん前。平成14年の春のことでした。
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その頃の私は、今考えると死にたくなるくらい、清々しいまでの生き恥を晒していました。 全ての物事を上から見下し、まるで世界の全てを熟知しているかのように振る舞い、そして世界に絶望していました。 この世はなんて汚いのか、と。 町中を歩いている時 湯に浸かっている時 鉛筆を握っている時 ふとした拍子に、よく自身の思想に浸り、そしてそんな自分自身に陶酔しておりました。
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そんな私でしたから、Yの飄々とした姿に、ある種の憧れを持っていたのかもしれません。 私はYと関わりを持つことを望んでいました。それがどんな形であってもどうでも良かったのです。私とYが出会いさえすれば、何かが動くとでも思っていたのでしょう。 そんなある日の放課後の教室。Yは1人、橙色の光の中にいました。恐らく、委員会か何かで残っていたのでしょう。 口から言葉が零れました。 「Y」
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声をかけた事にすぐ後悔しました。私は次の言葉を全く用意していなかったのです。 「君も居残りかい?」 そんな居心地の悪さを知ってか知らずか、Yは屈託のない笑顔を向けながら声を掛けてくれました。 Yと親しくなるのに時間はかかりませんでした。彼の開けっぴろげで嫌味のない性格に触れていると、自分も浄化されていくような気分になったものです。 私とYの前に彼女が現れたのは、そんなある暑い日の事でした。
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彼女は転入生でした。愛らしく聡明で利発な女性でした。ふとしたことで私とYは彼女と仲良くなり、それからは親友となりました。三人は互いを尊敬し気に入りました。そこには男女も年月も超えた見事に平等な友愛を注ぎ合う関係が築き上げられていました。私はこの関係がとても尊く、ほとんどの人が得られない幸せなのだとすぐ理解し、何より大切にしました。 私はYより愛されたいとも、愛したいとも思わなかったのです。
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秋服になりました。 女性というのはほんの数ヶ月でも雰囲気が変わるもので、彼女は最初出会った頃よりも、どことなく憂いを帯びた表情をするようになりました。 また肩の位置くらいまであった髪を少し切って、毛先が内側に丸まるボブカットというのでしょうか、そのせいで露出した肩の辺りがどうも女性らしくて、僕は戸惑いを感じていました。 それがきっと、彼女にも伝わったのでしょう。
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彼女は照れたふうに笑いました。それがたまらなく愛おしく、私は気の利いた言葉を言うこともできずに呆然と彼女を見つめたのです。私が我に返ったのは、Yが言葉を発したその時でした。 Yはただひとこと、綺麗だ、といいました。 私はその言葉に、この関係が崩れてしまうこと以上に、Yと彼女が恋仲になることを恐れてしまいました。私は、私自身の気づかないうちに、Yを明確な恋敵にせんとしていたのです。
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あれからというもの、Yは彼女に惚れているようでした。私の思い込みだったのかもしれません。ですが私の中で、彼女を恨む気持ちが膨らんでいくのはそう時間のいる事ではありませんでした。 ある日から、私は彼女の物などを盗んだり捨てたりするようになりました。Yはその度に彼女を慰めていました。私は自分には関係ないという顔をしていましたが、とうとう、その卑劣な行為をYに発見されたのです。
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Yは私を責めることも彼女に知らせることもしませんでした。しかしそれで逆に憎悪を強くしたのですから、つくづく私は醜い男です。 数年前、人づてに二人が結婚し、子供達と幸せに暮らしていると聞きました。 私の中の嫉妬の炎はいよいよ大きくなり、再び彼女の大切なものを奪おうとしたのです。 あとは貴方もご存知の通りです。 こんなに話したのは、収監以来初めてですよ。 もうすぐ消灯時間です。休むとしましょう。
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