「好きすぎて、嫌いなの」 彼女の口癖。 「犬もゲームも、揚げだし豆腐も」 どうして好きなのに嫌いになってしまうんだい?と聞くと、彼女は答える。 「好きすぎると終わりが見えてしまうでしょう」 伏し目がちにして口を尖らせて話す彼女の顔には、少しの哀しみも含んでいた。 だけど、嫌いになる必要なんて無いんじゃないか? 「…どうせ終わるとわかっているなら、いっそ嫌いになった方がマシよ」
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それじゃあ俺のことは嫌い? 彼女が人並み外れた思考であることは分かっていた。そして今、俺はやっと彼女の本音に触れた気がした。 俺と彼女は付き合っている。…はずだ。少なくとも俺は彼女のことが好きだし、同じように好かれていると確信してる。でも彼女はどうだろう。俺のこと信用してないんじゃないかな。 彼女が黙ってしまったので、話題を変えた。 揚げ出し豆腐がそんなに好きだったなんて知らなかったな。
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テーブルに並べられた彼女の手料理に視線を落とす。冷奴に醤油をかけ、口に運ぶ。 「……好きすぎて…嫌い」 好きなら、素直に揚げ出し豆腐にしたらいいのに。あえて冷奴を出すのも、彼女が言う好きすぎて嫌いというやつなんだろうか。 「食べたらなくなってしまうでしょ?だったら初めから食べなければいい」 そう言って彼女は冷奴を箸でつつく。 それじゃあ、今日はどうする?泊まってく?それとも帰る?
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帰らないで。そんな言葉は彼女が言うはずない。 帰ると言えば玄関までは見送るだろうし、泊まると言えば、食べ終わった食器をキッチンに運んだ後、風呂に湯を張るだろう。 「泊まる?」彼女のその言葉に頷く。 片付けが終わる頃、彼女はタオルを差し出し先に入るように促す。 湯船につかっていると彼女が入ってくる。二人がつかるには狭すぎるバスタブも、湯が溢れない。溢れないギリギリのそれは彼女のようだといつも思う。
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狭すぎるバスタブも、豆腐のケースみたいに見えると可愛く思えてくる。揚げ出し豆腐が好きすぎるから、単純に冷奴にしたんだろうか。 --俺の想いは、揚げ出し豆腐よりも熱いというのに。俺は冷奴が嫌いだ。ああ、大っ嫌いだ! 調味料と言えば、お醤油か(せいぜい工夫して)だし調味料やポン酢といった所だ。 湯は、表面張力をギリギリ保ったまま、絶妙なバランスを湯船にもたらしている。 嗚呼。何だろう、物足りない
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「あのさ…今日言ってた、好きすぎて嫌いっていう話。俺にはまだ分からない感情かもしれない」 明かりを消して、彼に後ろから抱きしめられてウトウトし始めた頃、彼がそうポツリと呟いた。 「君はさ、終わりが見えるって言うけど。俺は揚げ出し豆腐みたいに食べても無くならないし、なんなら君が揚げ出し豆腐をそこまで好きなこと今日初めて知ったよ」 「うん。初めて言ったから揚げ出し豆腐が好きなこと」
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「じゃあ、俺は冷奴が嫌いだってことも知らなかったろ?今初めて言ったから」 「…えぇ…初耳ね」 彼女の歯切れが悪くなった。 「俺たちは、全知全能じゃない。相手の全てを知っているなんてことはないし、終わりの見えていることもない。」 彼女は枕に顔を押し付けた。 「だからこそ、好きなもののことをもっと知ってみたいって気持ちに駆られるんだよ。 …君をもっと知りたいから聞くけど… 君は終わるのが怖いの?」
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「...ええ。怖いの。」 そう呟いた彼女の顔は、暗くてよく見えない。 「...そっか。」 分かるよ、とも、それは違うよ、とも言えない。 なぜなら、俺たちは他人だからだ。 どれだけ好きで、愛し合っていても、頭の中までは共有できない。 でも、今は、分からない彼女を愛おしく思う。 「....今度、揚げ出し豆腐買ってこようか。」 「...冷奴は、やっぱり嫌なのね。」 「...うん。ごめん。」
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パチパチと跳ねる油と辛味のある薫りが食欲をそそる。ごった煮の中華料理屋。 目の前には石窯でじゅわぐつに震える豆腐。 「好きすぎて嫌いって何だったんだ」 麻婆豆腐を目の前に、ふと元カノの言葉を思い出した。 「ん?」 何か言った?と無邪気に微笑む今カノに、何となく罪悪感を感じながら、熱々の麻婆豆腐を頬張った。 「あっつ!」 めくれあがった上顎を舌で労わりながら、ふと感じた。 俺の好きなもの何だっけ。
- 完 -