最高のダメ親父

「俺は明日からダメ人間になる!」 夕飯の最中、父さんが突然宣言した。 「はにいきなり?」 長女の亜希姉が蓮根の天ぷらを齧りながら聞いた。 「言葉通りだ 会社も辞めてきた」 「辞めたって、これからどうすんのよ?」 次女の恵姉が不安気に聞く。 「亜希も恵も社会人だ、健治は高校生だがその年頃には俺は働いていた これからはお前たちに厄介になる」 次の日から父さんは本当にダメ人間になった。

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まず父さんは、30年近く続けていた早起きをやめた。昼前にようやく起きてきたと思ったら、こうだ。 「これでダメ人間に近付いたな!」 無精髭を触りながら、ニコニコと満足気だ。 「よし、ランニング行ってくる」 そう言って使い古した紺色のジャージに着替える。パンを頬張りながら見送ると、5分もしないうちに帰ってきた。 「ダメ人間はこんなことはしないはずだ」 うんうん唸りながら、自室に戻っていく。

11年前

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何がしたいんだと半ば呆れながらその光景を見つめる。 「ダメ人間ダメ人間て、ダメ人間は自覚症状がないよ。だからダメ人間なんだよ」 私がそう言うと父さんはなるほど!と言って歯磨きをするのか洗面所へ向かう。しかし10秒もしないうちにリビングに帰ってきた。 「ダメ人間は歯磨きもしないよな!」 恐らくだがそれは違う。歯磨きをしないとダメ人間より下の階級になるような気がしたが私は何も言わなかった。

鈴蘭

11年前

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そのあと 「風呂入ってくる」 と洗面所に向かった父さんは、ものの30秒でリビングに戻ってきた。 「服を脱いだまではいいが、ダメ人間は風呂にも入らないよな!」 上半身裸のまま、そう言う。 いや待って父さん、どんどんダメ人間より下になっていくよ。と、心の中で思ったが、 「あ、そう」 と言うだけにした。 亜希姉も恵姉も、何も言わない。 母さんは仏壇の中でにっこり笑うだけだった。

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「今日はパチンコに行ってみようと思うんだ」 翌朝、父さんは言った。 歯も磨かず、風呂も入らないままパチンコに出かけていく。これで有り金を全部摩ったなら、なかなかにダメ人間の見本かもしれないと考えた。 夕方、父さんは戻ってきた。 「随分勝ったんだけど、大金持ってちゃダメ人間らしくないから、途中で川に捨ててきたよ」 それは流石に人として許されない行為ではないかと、開いた口が塞がらない。

misato

11年前

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「いやねぇ父さん。」 「何だ?」 「ダメ人間は、そのお金を一瞬にして自分のために使うんじゃない?」 そう言うと父さんはまたもやなるほどーといい、寝ようとした。だが父さんは思い直したのか、こっちへ来て、こういった。 「ダメ人間は、夜遅くまでおきてるよな!」 あ、それは確かにそうかもしれない。 お酒とか飲んでいそう。 「そうか酒でも飲むといいのか!」 どうやら口に出ていたようだ。 「先に寝てるよー。」

1106

10年前

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そもそもなんで父さんは急にダメ人間を演じているのか。 そう、演じているのだ。根っからのマジメさで。 今はちょっと面白がっているけど、父さんのこの状態が続いたらロクなことがない。マジメ人間がホントのダメ人間になってしまう。 ウチは家族みんな呑気でポジティブだ。でも、やっぱりこのままじゃマズイ。 布団に入っても寝られなくて、水でも飲もうと台所にいく。途中、仏間から声がする。父さんの声だ。涙声。

hisa

10年前

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「有希恵…! なんでお前…っ」 鼻をすする音が聴こえる。 僕は心臓に穴が開いた気がした。 父さん、僕には気づいていないみたいだ。 グラスに水を注ぐ。 ただの水なのに、喉がきゅうっとなって、なかなか胃に落ちていかないのがわかった。 コップを置くと、仏間に向かう。 父さんの背中が震えている。 僕はそっと肩に手を置いた。 「父さん。もう、いいよ。父さんは“ダメ人間”なんかじゃ…」

海猫

10年前

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「でも俺は…」 「ありがとう。父さんはいつも僕らのことを考えてくれている」 父さんが母さんの代わりになろうと努力していたことを知っている。簡単に違う人間にはなれないね。父さんみたいな人はなんでも真面目に考えてしまうからダメなんだ。もちろん、その『ダメ』は僕らには居心地のいい『ダメ』なのだけど、背負い込みすぎて辛い思いをしているあなたを見ていたくはない。僕らにも背負わせて。 僕は父の背に額をつけた。

aoto

10年前

- 完 -