体の弱いほうを嫁に出すと旦那様は仰った。だから私は懸命に姉を病弱に仕立て上げた。姉は美しい。生い立ちを知らない人が見たらいいとこのお嬢様だと思うだろう。姉には幸せになって欲しかった。姉が綺麗なままであるほど私は酷く汚れていった。旦那様は約束通り姉を嫁に出し、私を下女として扱った。私も姉と同じで体が弱いことを黙っていた。何度も血を吐きながら仕事をした。真っ赤になった手を空に透かす。私ももう長くない。
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自分が長くないことが分かっても、不思議と怖くはなかった。 あの時、旦那様に姉と共に拾ってもらわなければ、こんな屋根のある場所で寝泊まりすることも出来なかったと思う。 何より、何時も私を庇い、傷ついてきた姉には幸せになってほしかったのだ。 もう、私なんかを庇い傷付くこともないだろう。 姉の幸せそうな笑顔が見れた。 …私は、それを見れただけで充分だ。
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ところがある日、旦那様は仰った。今までよく働いてくれた、お前を私の嫁にしよう、と。信じ難い言葉だった。旦那様は私達を試したのだ。体の強い方を嫁にするために。姉はどうなったのか尋ねると、分家の下女になったと言う。体の弱い嫁など誰が欲しがるものかと旦那様は嗤う。あの日姉が幸せそうだったのは、私が旦那様の嫁になれると知っていたからだ。 何とかしなくては。私は拳を握り締める。幸せになるべきは姉なのだから。
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どうか姉を呼び戻してくださいまし、と私は旦那様に懇願した。 私はもう長くはありません。子も望めぬような体です。それを知っているが故、これまでの御恩にと必死で働いていたのでございます。 お前は、この私の嫁になるのが不満なのか。 旦那様の顔が不興に歪んだ。諍うほどに逆らえば或いは、とも思ったが、一度言ったことは容易に曲げないお方なのだ。引き下がるしかなかった。 ならばいっそ──私が死ねばよいだろうか。
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部屋で一人、手の平を見つめながら途方に暮れていると、コツコツと窓を叩く音がした。 「姉さん、姉さん」 黒髪に青い瞳の少年が立っている。 急いで窓を開けると、 「おっ母が、これ、姉さんにって」 と麻布に包んだポットを差し出した。開けると、温かいスープの湯気が立ちのぼり、かすかな薬草の匂い。 「おっ母のスープは元気が出るんだ、本当に」 青い瞳が心配そうに私を覗き込む。 彼とは市場で知り合った。
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頭痛に見舞われ、市場でよろめいてしまったときだった。介抱してくれたのが、彼と彼の母親だった。その時も、温かいスープをご馳走になった。 辛い身体に鞭を打ち、懸命に仕事を行ってこれたのは彼らのおかげでもあった。 これを姉に飲ませることができたなら、姉の体調はよくなるかもしれない。 私は少年にポットを返すと、姉のもとに手渡してくれないか、と頼むことにした。私の体は良くなったのだと嘘をついて。
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嘘だ! 凛としたその青い眼は見抜いていた。 「姉さん、自分が何を言ってるのかわかっている?」 私は、私の姉を助けるために。 「僕は姉さんのためにこのスープを持ってきたんだよ。おっ母だって、姉さんのために、作った!」 ……ごめんなさい。 「良くなってないくせに。なんで、嘘、つくんだよ。」 いつの間にか、その少年は泣いていた。
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「僕は...姉さんのお姉さんに罠に掛かっていた所を助けてもらったアオバトです。何か御礼をと言ったら、私よりも妹を守ってくれって...だから、おっ母とずっと見てたんだ。お姉さんは何時も姉さんの事を心配しているよ...早く元気になってくれなきゃ、僕もおっ母も困る...」 「わ──っ」 私は、計り知れない姉の愛情を知り大声で泣いた。 姉に逢いたい... 「お願い、私を姉の所に連れてって」
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少年とその母様とともに、姉のいるところへ急いだ。近頃、持病が急に悪化したと云う。私たち姉妹に残された時間はあと僅かだった。 姉への道は、長い人の列を越えなければならなかった。光から闇への、ひたすら長い人の列だった。母様が私に呟く。 「きっとあなた方の母上様も耐え難きを耐えた立派な方だったのでしょう。こんなに綺麗な娘様方を産んだ方ですから」 長い列の先には。 ただ一言、 「ありがとう」 と。
- 完 -