紅の刃

切っ先は、赤と言うより紅。こぼれた刃先に血がついて生温く光る。 そりゃあ、幕府の直轄地で刀を抜いたらそうなる。でも、一度鞘から抜いたら最後。 切らなければ、切られて、切らないと同心は切られて、だから目の前にいる兵を斬る。 平五郎は想う ああ、こんな時に自分が生きている事を感じる。きっとこれは生粋の狂人だ。 だから、 「この平五郎、同心、友の為なら狂人でも夜叉でも何にでもなろう」 そう叫び走る

12年前

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生きるために、守るために、切っ先を紅に染める。 そして、染まった切っ先はまた、血を吸い、紅に染まる。 「そうして、あなたに守られるより、あなたの切っ先を染めない方を選びたい」 華奢で、儚気な君が言った。 誰よりも弱く見えるけど、誰よりも強い人だった。 そのときに初めて、知ったのだ。 守ることの難しさを。 失くしたくない人を守りたいと思う気持ちを。 それを知るために紅に染めた命の数は多すぎた。

mithuru

12年前

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罪を重ねて浴びた血は、怨恨の連鎖を引きつける。 血で血を拭うように、沼は兵五郎の足を引きずりこむ。 「お前を危ない目にあわせるわけにはいかない。俺を憎んで、仇をとろうと狙っている者が、今も界隈をうろついておるのだ」 彼女は兵五郎の袖をつかむ。 「また、やり直せばいいのよ。私を連れていって下さい。遠くに逃げましょう」 兵五郎は喉を鳴らした。

aoto

12年前

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逃げる。 それが許されるなら。可能ならば、どれだけ甘い誘惑だろうか。 刹那に燃える命を捨てて、穏やかな日々を二人で過ごす。それは紅を纏わせた切っ先が放つ光より、酷く眩しいものに思えた。 「だが」 平五郎は首を振った。 人の情は強く、恐ろしいものだ。 今まで斬り捨ててきた人間にも、自分同様、守りたいものがあったのだと平五郎は今更ながら知った。 復讐の刃はどうにも止まらない。それをようやく理解した。

桐谷小秋

12年前

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しかし。 「このままでは、キリがありませんよ。今更止まれぬと刃を抜き、また新たな哀しみと憎しみを生み出すのですか?」 穢れを知らない瞳から、ハタハタと雫が零れ落ちて。 「何より、分かってください。私は、あなたを失いたくないのです」 彼女の顔がくしゃりと歪んだ。 「私は自分勝手な女です。どれほど仲間が死んだとしても、平五郎さんだけは生きて、生き延びて欲しいと思う」 必死にすがる彼女に、想いが揺れた。

朱雀 

12年前

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「いっそ蝦夷か琉球にでも行くか」 つい口にしてしまった言葉に、彼女は表情を明るくした。 「何処へでも」 歓喜する彼女を見て腹を括った平五郎は「先に発て」と優しく告げた。 「品川宿で落ち合おう」 「平五郎さんは」 「友と会う約束があるのだ。案ずるな、明日には必ず俺も行く」 女と別れた平五郎は研ぎ師の店に立ち寄ると、一振りの刀を受け取った。無銘の業物。大仕事にしか用いない、平五郎秘蔵の愛刀である。

hayayacco

12年前

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翌日。 「平五郎の女だな」 憎しみの鎖は、彼に類する者の足をも絡め取ろうとしていた。立ち竦む彼女を守らねば。 「お命頂戴」 「御免」 切っ先がまた紅に染まる。 何故ここに、と驚いた様子の女に平五郎はゆっくりと笑んだ。そして、業物を振りかざした。 「これでお前もわかったろう。もう如何にもならぬのだと。守ってやれなくなる前に、蝦夷よりも琉球よりも遠くへ行こう。そこでなら、刀が染まることもあるまい」

lalalacco

12年前

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「遠く…?」 「あぁ、遠くだ。2人だけで行こう」 赤い切先を女に向ける。血と脂で濁った刀身に、変に歪んだ女の姿が映った。その表情は泣いているようにも、笑っているようにも見える。

月野 麻

11年前

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平五郎は力一杯に刀を振るう。 痛みや苦しみがないように。 どさりと女が倒れた。 辺りは紅に染まり静まり返る。 「すまぬ…俺は結局何も守れなかった…」 愛する人に向けた刃を己に向ける。 「願わくば、また会おうぞ」 血で血を洗った平五郎の刀はその後二度とその刃を紅に染めることはなかった。 桜舞う季節。 運命のいたずらか、二人の男女はまた出会い恋をする。 そして末長く時を共にしたのだった。

Thino♡

11年前

- 完 -