自販機いってくる。 娘がそう言って足早にそとにでていく。玄関から数分。夜だけど大丈夫。 そう思ったのが間違い。 娘は帰らなくなった。いや帰れなくなった。 膝の上には遺骨の箱。 あのときついていけば。娘は 。 娘は山中で暴行の跡がある状態でみつかった。犯人はみつからない。 泣いて暮らしても帰らない娘。 犯人の手がかりはない。 難事件を解決する刑事さんたちにお任せしても何もわからない。 娘は
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まだ安らかに眠れないでいる。 私は月命日には必ず娘に会いにいく。以前は毎日のようにいろいろな人が参ってくれた小さな墓も今は寂しい。 私の他には親しかった友達と先生、あとは警察関係者らが命日に訪れるだけになった。 娘の同級生達はもう成人式を迎えるという。時は私と娘を置き去りにして流れているのだ。 霊園に入ると、娘の墓の様子が普段と違っているのに気付いた。水鉢にまだ瑞々しい花が供えられていたのだ。
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風が鳴いて木々を揺らす。 「この花、知らないわ」 妙に業腹だった。 ようやっと落ち着いたところに、ひと端の事情しか存じ上げない輩に何食わぬ顔で横槍を入れられた気分に近い。 その頃には、娘に添い遂げる意気地は私だけが持っていればいいと思っていた。 他人の畏まった同情が煩わしかった。いっそ邪魔に思った。 だから今更未知らぬ花を供えられると、憤りを感じてならなかった。 背後で砂利を踏む音がした。
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振り向けば知らない男の人が立っていた。誰だろうか。娘の知り合いのようには思えない。こんな小さな墓に1人いる私を不思議に思ったのだろうか。 「デンドロビウム」 「え?」 「その花」 娘の墓に備えられている花を指して男は言った。 私が何の花か分からなそうな顔をしていたからわざわざ教えてくれたのだろうか。 「わがままな美人。その娘に相応しい。美人はちょっと違うかな」 男は嗤った。
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頭の中に、或る可能性が浮かんだ。それは次第に形を成して、一つの恐ろしい結論を導き出そうとしていた。 それでも不思議と感情は動かなかった。ただじっと男の顔を見つめるだけの私に、男は決して目を合わせようとしない。 「あなたはよく似ている。その娘に」 蘭そっくりの花が揺れる。 「ご安心を。その娘は孤独と暴力の中で息絶えたのではない。深い、深い、愛情に包まれていた。僕の愛情にね」 ああ、この男が。
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込み上げる恐怖と憎しみに正気が狂いそうで、揺れる花に視点を落とした。ふわふわと淡い白と紫の花弁、軸太く逞しい茎。華やかさが娘にどこか似ている。 「1月16日。」 男が呟く。そう。今日は娘の誕生日。娘の名は、蘭。 「だからあなたは蘭の花に似たその花を?」 「それは違う。」 男はこれまで逸らしていた目をこちらに向け、真っ直ぐ私の目だけを見て一歩、一歩と近づく。 ?男は手の中に何かを握りしめている。
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「何を持っているの?」 男は手に持った物を見せびらかすように揺らしながら言った。 「見たままだよ。」 「見て分からないから聞いたの。」 「じゃあそれで正解なんだよ。 これは分からないものです。」 男はまた小さく嗤った。 それは分からないものなんかじゃない。 私はそれを知っていた。 なんども触れた。 「蘭…」 私は震えた声で言った。 娘がいまだ安らかに 眠れない理由。 僅かに不揃いな躯。
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桐の箱には生首があった。白い肌、膨らむ唇。閉じた眼が開くことはないが、その顔は蘭そのものだった。親譲りの艶やかな髪はあの娘のものだとすぐに分かった。 「彼女の髪をこの人形に移植した。彼女の願いだった。自慢だったんだろう。彼女の一部が残っていると思うと、俺も不思議と寂しくなかった」 娘の損なわれた躯が目の前にある。 「誓う。例え歪な思いを交差させてたにせよ、最後の最後まで俺たちは愛し合っていた」
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男は人形師だと言った。そして娘は男に心酔していたと。 男は人形に魂を宿らせる実験を試み、娘は協力を申し出たと。ーー性交後の死骸の提供を。 「馬鹿げた嘘ーー」 言いかけた時、蘭と見紛う人形がぱちりと目を開けたのだ。 おかあさん。 その瞬間、私は考えるのをやめていた。 帰ってきてくれるのなら、どんな姿でもいい。 私は人形の桐箱を受け取り、ケーキを買って帰宅した。 蘭の新しい誕生日を祝うために。
- 完 -