「ただいま」 誰もいないのにいつもただいまって言う。 少しでも淋しさを紛らわしたいから。 小さなワンルームマンションでも一人だと広く感じる。 簡単に夕食を食べてからパソコンを起動して課題を片付ける。 レポート5枚。タイトルは「日本近代経営の精神と江戸後期商家の家政」 アウトラインを作り書き終えた頃には1時を過ぎていた。 翌日、大学に行って授業を受けて帰宅した。 「ただいま」 「おかえりなさい」
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聞こえてくるはずのない声に体の動きが止まる。だが、ドアを開けた先に立っていたのは母さんだった。 「なんだ母さんか」 泥棒かと一瞬焦ったじゃないか。ほっとして荷物を下ろす。 いや、にもつをドサッと落としてしまった。 「かあ…さん?」 そうだ、母さんは二年前に脳出血で死を遂げたはずだ。なん、で。 「ごめんね。帰ってきちゃった。」 母さんは生前と変わらない笑顔で微笑んだ。
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「早く中に入りなさい。外は寒かったでしょ」 「…うん」 母さんが元気だった頃はごく普通に交わしていた何気ない会話がひどく懐かしい。 特別仲の良い親子ではなかったと思う。母子家庭ではあったがお互い過度に干渉することなく適当な距離感を保って暮らしてきた。 それでも母さんを失った時の喪失感は大きかった。 今でも引きずっているほど。 つい零れた涙をこっそり拭いながら部屋に入り、改めて母さんと対した。
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「ただいま」 もう一度そうつぶやくと、荷物を持ち直し、部屋へ向かう。パソコンを立ちあげる。なぜ、母さんが?頭の整理がつかない。 「ごはん、できてるよ。」 背後からの声は、紛れもなく母さんのもの。 「大学は大変?」 テーブルを介して眺める母さんの笑顔は、この世の憂さをすべて晴らしてくれる。食後も母さんについて頭を捻り通したが、説明がつくはずも無く、問題は明日へ送った。 「起きろ〜。」じい、さん?
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朝起きると、目の前にじいさんが宙に浮いていたのだ。 「っ!!?!?」 生まれて初めて、声にならない悲鳴を発した。 「いや〜すまん、驚かせて。お前さんと話がしたくて、天界から降りてきたんじゃ」 「まさか、神様?」 「うむ。ヤハウェ、わしの名じゃ。気軽にヤハさんと呼んでくれ」 ノリ軽いな…… 「どうかな甦りの感想は?」 「え、じゃあ……」 「ああ、世界中で起こっている甦りは、わしの仕業じゃ」
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て、ことは母さんが蘇ったのもじいさ…いや、ヤハさんのせいか…でもなぜか、この状況をすんなり受け入れられた。なぜなら… 「だったらさ…」 「なんじゃ?」 「4ヶ月前に死んだポチも蘇らせてくれないか?あいつだけは…酷い死に方をしたから、心配で仕方ないんだ…」 「残念ながらのぅ、孫よ…蘇らせることは出来るんだが、そのぅ…やめた方がいいぞ?」 「なんでだよ‼︎出来るんだろ⁉︎だったら俺何が起ころうがいい」
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「じゃあ、最後までちゃんと面倒みるんじゃぞ?」 「当たり前だろ」 ヤハさんがひらりと右手を挙げた。 するとソファの方からポチの声がして。 なん……だと…… ポチは元気いっぱいにシッポを振って、 それをプチっと飛ばした。 それ以上に頭が追いつかないのは……ポチの中味、中味があああ!? 「ポチちゃんは、車を引かれちゃったから仕方ないわよねえ」 母は世間話でもするかのように微笑んだ。
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ご飯を置くと走り寄ってくるポチ。中身を撒き散らして。 皿を貪る彼だが、案の定ご飯は食べた先から体を飛び出し床に溢れていく。 「そっか、撒き散らすのは霊体だから家は汚れないのね」 母さん、そういう問題じゃ…霊体? 「だって母さんは蘇ったんだよね?霊体って」 「うーん…簡単に言うとね、私たちの体ってそのまま魂が戻すだけじゃ動かないようになってるの。それで補助剤として幾つかの臓器は霊体を使ってるのよ」
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「確かに寂しかったけど……こんな形で再会するのも辛いよ」 無残な姿のポチから目を背ける。 「そうか、辛いか」 じいさんがポン、と手を叩くと、母さんの体が浮き上がった。 「帰るとしよう」 「……え、待って!」 声は届かず、ヤハさんと母さんは透明になって消える。ご飯を食べ終えたポチが、明るく一声吠えた。 「……励ましてくれてるのか?」 ポチの姿は痛々しくて……でも、やっぱり愛おしかった。
- 完 -