「森崎」 「はい、なんですか」 部活中。名前を呼ばれたので、僕はその声の方向に振り返った。すると、辻堂先輩が真剣な目で僕を見つめていた。え。 「八田は、今年はチョコをくれると思うか」 僕が所属している文芸部の部長・辻堂先輩と副部長・八田先輩は、去年から付き合っているらしい。もうすぐバレンタインデーだから気になるのだろう。 「去年はもらってないんですか?」 「…あんぱんをもらった」 「…さすがです」
- 1 -
そう。八田先輩はなんというか……控えめに言って、変わった人だ。あんぱんに懸ける情熱がハンパではないというか、かなり常軌を逸しているというか……そんな感じ。 「欲しいって伝えておけばいいじゃないですか、チョコ」 本気で苦悩している辻堂先輩に、ボクは思わず言った。 「じゃあお前は、交際している相手に『チョコが欲しい』とわざわざ明言する奴をどう思う」 「可哀相な人だなって思います……あっ」 すみません。
- 2 -
「しょうがない、ここは俺の出番だな」 ふと声がしたと思うと、部室の入り口に偉そうな男子がもたれかかっていた。 「……どちらさまで?」 どうでも良さげな辻堂先輩に代わり、僕が一応尋ねる。 「聞く前に名乗るのが礼儀だ」 「えと、」 まあいい、と何様男子。開眼して言い放つ。 「我が校のクッキング同好会会長兼渉外担当の雨森龍様とは俺のこと!」 憐れなVDボーイの味方さ!
- 3 -
「…で、どうすればチョコ貰えると思う?」 「そうですね〜、やっぱ直接言った方がいいんじゃないですか?」 「おいコラ!人に自己紹介させといて無視すんな‼︎」 僕と辻堂先輩は横目で振り返り、雨森とかいう奴の方を見た。 「何」 「だから、俺が君の為に力になってやろうというのだ!」 「いいよ」 「遠慮しなくてもいいぞ!」 「いいって。だってお前、見るからにモテなさそうだし」 「うん、僕もそう思います」
- 4 -
「無礼だ、誠に無礼だ!」 「そうやって憤る姿、王道と言うべきかませ犬ポジっす。乙です」 「ただ、赤の他人のデリケートな問題に聞き耳を立て、剰えお節介にもアドバイスしてこようとする、その無謀とも言える勇敢な姿勢は誰にでもできることではない」 「ということで親切ありがとー」 僕と先輩はそそくさと立ち去ろうとするが、彼は引き下がらなかった。 「去年、俺は八田からチョコをもらったぞ」 先輩が立ち止まる。
- 5 -
あの八田先輩が?あんぱんではなく、チョコをこの男に? 頭に疑問が溢れて固まっている僕の隣で、やっぱり辻堂先輩も目を見張って固まっていた。 しばらくして、金縛りが解けた先輩は、雨森とかいう男につかつかと歩み寄り、その胸ぐらをつかみあげた。 先輩の顔は怒りのためか真っ赤に染まっている。これは修羅場というやつなのでは、と思ったがしばらく様子を見ることにする。 「八田とどういう関係だ!」
- 6 -
「どうもこうもないさ。俺がどうして彼女からチョコを貰うことになったのか。その経緯を聞かせてやろうとしていたところじゃないか」 先輩の剣幕などどこ吹く風で男は一段顎を上げ、鼻高々と言う様子だ。しかし胸倉を掴まれて居る為にうまく踏ん反り返ることができず、少し噎せた。 「わ、きたね」 解放された雨森は更にゲホゲホと大袈裟に唾を飛ばしてから、また不遜な態度に戻る。 「求めるならば、先に与えよ、さ」
- 7 -
キザっぽく雨森が言う。 「どういうことだ?」 辻堂先輩が雨森に尋ねた。先輩の顔は赤く、怒りはまだ収まっていない。 「言葉通りだよ。チョコが欲しいなら、八田の好きなものをあげなきゃダメさ、つ・じ・ど・う・君!」 先輩をからかうようにまくし立てると雨森は去って行った。 「何だったんだ、アイツ…?」 僕は呆れたようにその背中を見送った。 「あの野郎…悔しいが一理あるな」 僕の背後で先輩が苦々しく言った。
- 8 -
結局八田先輩と雨森の関係は分からなかったが、辻堂先輩は何か決意を下したようで、その目は鋭く一点を見つめていた。 そしてVD当日。そこには両手首を赤いリボンで縛った先輩の姿があった。 「八田。俺を貰ってくれ」 ぽかんとする一同。しかし八田先輩はさして驚く事もなく嬉しそうに笑い、背後に隠していた小箱を先輩に手渡した。 「はい、辻堂くん。…ふふ、作戦成功ね」 よく分からないが、よしとしよう。HVD!
- 完 -