おもいびと

「煙草の煙は悲しみを孕んでいるんだってさ」
そう言ったのは、いつからかこの家に居候している猫だ。
「だから体に毒なんだよ」
猫の金色の瞳が咎めるように俺を見た。
「禁煙しろってか? 無理無理」
「別にそういうんじゃないけど」
「じゃあ、やめられなくなるのはどういう仕組み?」
もう一匹の猫が口を挟む。
「それは……人の不幸は蜜の味、とかいうじゃん?」
「あたしの不幸はどんな味かしら」

シケ崎
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皮肉るように笑って、猫はくるりと浮遊する。
その様子を鬱陶しげに一瞥して、金目の猫は俺の膝に乗る。
「まだ根に持ってんだね、あいつ。あんたの置きっぱなしの煙草食べて死んだこと」
「うっ……心が痛い」
「気にすることないさ。あいつがドジ踏んだんだ」
いい気味だ、と不敵に笑い、二股の尻尾で俺の頬をつついた。

この家には、よく猫が集まる。
煙草の煙に引き寄せられるように、こういった訳有りの猫ばかり。

あるふぁ
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訳有りの俺が言うのもおかしな話だ。

寂れた村の中でも、人が寄り付かないかつては神木と崇められた大樹のそばの平屋。訳有りの大樹と平屋は、俺の終の住処として選んだ。
「毒と言えば、村のあちこちに毒団子が撒かれていてね、毒入りと分からず貧しい家の子供がそれを食っちまって亡くなったらしいよ」
二股の尻尾がぴんと伸びる。金色の瞳は俺の言葉を待っているようだ。
「この村をよく思わない輩は沢山いるってね」

_靉_
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「だから?」
「あんたなら……ちょっと!」
猫は慌てて飛び退いた。俺が煙草の煙を吹きかけたからだ。
「何するのさ。酷いな」
潤んだ金色の瞳で恨みがましげに睨める。
「今、あんたなら何とかできるって言おうとしたろ」
「だって、そうじゃないか」
「できねえよ」
「本当は毒なんて平ちゃらな癖に」
「種類が違うんだ」
憎しみという毒に、そう簡単には太刀打ちできない。
「また誰か死んでもいいのね。冷たい男」

misato
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「そうは思わないさ、ただ」
「ただ?」
憎しみを相手にするのが疲れた、そう言おうとして俺は口を噤んだ。
誰かが誰かを憎むこと。その憎しみが伝染するように別の誰かに渡ること。憎しみの連鎖。
無視をしようとしても頭にちらつき、逃れようと思っていても向こうから訪れる。そうして心をすり減らしているうち、憎しみは記憶に染み着き、条件反射の行動をとらせるようになる。

肺に入れるのは悲しみだけで充分なんだ。

aoto'
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「あたしは」場の流れを換えるように、金色の瞳がついと外へ向いた。「この村が好きだよ」
俺も窓の外を眺めた。霞か埃か、空気はくすんでいる。
「悪趣味だな」
「この気色の悪い空気がいいのさ。あたしにはちょうどいい」
猫はうっとりと目を細めた。二つの尾がゆらゆらと艶やかに揺れるのを、俺は愛おしく眺めた。
「なんでそんなになっちまったんだ」俺は思わず問いかけていた。「なんで猫又に、妖になっちまったんだ?」

夏草 明
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「そうさねぇ、なんでだろうねぇ」
男に擦り寄り、そう嗤って言った。理由など大したことではないのだ。長く此処に留まりすぎて、忘れてしまった理由なのだから。
その昔、男はこの村に住まう普通の若者であった。ある時肺を患い病に伏した男は、独り今際の際に御神木に願った。まだやり残した事があると。そして遺された愛しい者に別れを告げずには逝けぬと。今も男は其処に居る。愛しい者の側に。ただ理由は思い出せないのだ。

sara
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「あんたはどうなのさ、なんでこの村に住みついたのさ?」

煙草で肺を満たす。その昔咳き込むと紅に染まったぼろは綺麗なままだ。苦しみが薄れるのは悲しみが色褪せるのと違う。そう信じたかった。側から見るとぼろきれにしか見えないそれは…。

「忘れたな。理由なんか」
思い出すには時が経ち過ぎていたのかも判らぬ。金色の瞳が不思議そうに見つめた。それ以上話そうとしない俺を残し、猫又はぴょんと隣へ跳ねた。

みみぃ
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「忘れちまった方が良いのかもしれないねぇ。私も猫の鳴き方を忘れてしまった」
「……それはそれでどうなんだ?」

猫はくつくつと嗤い、目を輝かせた。

「それで良いのさ、私の鳴き声はご主人様のもんだ。鳴き声だけでも三途の川に送っておこう。あの世に逝ってまで飼われる気は無いからねぇ」

煙草を噛み、苦々しく返事する。

「逝こうとしている気がないくせによく言うわ」

男は気付いて、誤魔化したのだ。

クロア
- 完 -

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