「手、出して」 小学校から帰宅した姉が、ランドセルを下ろす間もなくそう言った。それがあまりに自然であり、当時はまだ物事を疑うことも知らぬ幼子だった私は、言われるままに両手を差し出した。 その手に姉がそっと乗せてくれたのは、鮮やかなタンポポであった。 「春が来たんだよ」 春子の季節だねぇ。 四月生まれだから「春子」。微笑ましい程安直な私の名を口にしながら、姉は嬉しそうにしていた。
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姉は毎年春がやってくる度にタンポポをくれた。 私がまだ母のお腹の中にいた時も、祖母のところに預けられていた姉は電車で母の入院する病院までやってきてタンポポをくれた。 母はその時のタンポポを押し花にしてくれて、今でも私の手元に残っている。それからは毎年、姉から貰ったタンポポを押し花にしてとっておくことにしていた。 私は、今年で二十になった。 でも、 タンポポの押し花の数は、今年も十七だった。
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墓前に手向けるには素朴すぎるその花は、却って目を惹く。姉は気に入る筈だ。私の季節は、姉に挨拶をする季節となった。 元々心臓の弱かった姉は、四年前の冬とうとういけなくなって、それからまる一年、最期の時まで病院で過ごすこととなった。 常時ととのった環境の中、なかなか四季を感じられないと淋しがっていたっけ。粋な人だった。 未だに少し期待している。 姉を感じられる瞬間を。 霊感なんて無いのだけれど。
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私は墓前にしゃがみ、飾られた供物を眺めた。そこにあるのは圧倒的に花が多い。 この世にあるもので一番四季を表すのは花だから好きなのだと、生前姉はそう言っていた。恐らく、こうして毎年墓参りにやって来るくらい親しい人にはそう公言していたのだろう。 「良かったねぇ、お姉ちゃん。花がいっぱいだよ。見えてる……?」 微かな風が通り抜けて、蝋燭の火が揺らいだ。まるで私の問いかけに応えているみたいだった。
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姉が死んだ冬に、うちの時間は止まった。17歳のとき以来、家族に誕生日を祝われていない。姉の墓前にその花を手向け、自ら祝うのが習慣になった。 「タンポポもいいものですね」ふいに話しかけられた。その人もタンポポを抱えていた。 「そちらも今日が命日ですか?去年も貴女をお見かけしました」 事情を説明すると、彼は自分が抱えていた花をひとつ私に差し出して言った。 「おめでとう」 まるで姉のように。
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「…ありがとうございます」 タンポポを受けとる時に少し触れた手は暖かくて、益々姉を思わせた。 私はタンポポを大切に持ち帰り、三年ぶりに押し花を作ることにした。 姉からもらったタンポポではないけれど、なんだか嬉しくて、ちょっと切なくて、私は久々に泣いた…。
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パサッなにかが落ちた あれ?手紙だ。あの人のタンポポから出て来た 『こんには春子さん。私はあなたと出会ったのが今日初めてではないんです。あなたのお姉さんからお話しを聞いておりました 春子さんはとても心が綺麗でお姉さんに貰ったタンポポを押し花にしているようですね。お姉さんはそれを知っていましたよ微笑みながら照れるように話しておりました タンポポは春子さんとお姉さんの絆です。大切にしてくださいね。』
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この小さな紙にびっしりとそう書いてあった。 私は複雑な気持ちだった。 あの男の人は姉の何を知っているの? タンポポは私と姉の絆… そんなのわかってる。 わかってるけど… 私は泣き虫だ。 姉がしんでから泣き虫になった。 姉が私を守ってくれていた。 あの男の人の手紙を読んでから姉の大切さを改めて考えた。 姉が教えてくれたこと、姉が言いたかったこと。 全部、このタンポポの押し花に詰まっているんだ。
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翌年。花が溢れる墓前に、タンポポが二束。 手を合わせ終わると、彼はまた私に花を差し出して「おめでとう」と言った。 「聞かせてください。私の知らない、姉のことを」 私がそう言うと、彼は照れ笑いを浮かべて、姉と初めて病院で会ったときの話をし始めた。 ふわり、とタンポポの綿毛が舞う。 春が来たんだよ。 もう泣かなくていいんだよ。 姉が微笑んでいる気がした。 お姉ちゃん。今年も押し花、作れそうだよ。
- 完 -