鬼の手護り
触るぞ、身体に。
そう言って彼はまた背中にぬるま湯を浸した手拭いで、私の身体を拭う。
「武士の争いに、団子屋の娘などが入るでない。肝が大きいのと無謀さは紙一重だ」
そうゆう彼の顔を肩越しに伺う。その顔はやや赤らんでいる。
「…っ自分で出来ます」
「…っ駄目だ。俺がやる」
頑な彼は、そのまま背中を拭う。
あぁ、これだから。
この人は、優しいのだ。
- 1 -
薄皮を斬られた程度の傷で、本当に大したことはない。
店の前で起きた諍いが大きくなったのが原因。
客が逃げるし評判にも差し障るということで、割って入ろうとしたらこの有様。
斬った張本人は、私を殺してしまったと勘違いしてそのまま逃げてしまった。
「……包帯くらい、自分で出来ます」
「駄目だと言っておろうが。大人しくしていろ」
幼少の頃から知っている。
この人の優しさは、とても不器用なのだと。
- 2 -
幼少の頃から知っている。
この娘の真っ直ぐさは、包み込むような優しさなのだと。
脱がした着物からのぞく柔らかそうな乳白色の肌に、知らず顔が熱くなる。
なめらかな背中を極力見ないようにしながらも、包帯を当てる背中には、痛々しい赤い傷が流星のように奔っていた。薬草を塗り込むと、沁みるのかびくりと身体を震わせる。
「…どうして、あのお侍さまと言い合いになったんです」
少し心配そうな声色。
- 3 -
「お前が……」
そこまで言いかけて口を閉ざした。
娘は軽くこちらに振り向いて可愛らしく首を傾げ、その続きが語られるのを待っている。
「お前が気にすることでは、ないよ」
問いかけるその瞳から目をそらした。
滑らかな肌を覆い隠すように、無心で包帯を巻きつけた。最後にくいと引いてやれば、小さな身体が揺れる。
肌蹴た着物を整えてやれば、娘は身体ごと振り向いて、ぽつりと呟いた。
「少し、悲しいです」
- 4 -
細い目を瞑り、仰ぐように顎を浮かせ、彼は口を結んだ。事情は決して教えてもらえないのだろう。そういう、人だから。
無言で頭を下げると、すまん、と一言だけ口にした。
「傷の方は本当に大丈夫なのです」
「とてもそうには思えなかった」
合わせようとしてくれない彼の目を執拗に追った。白魚のように、彼の目は逃げる。
ぬるま湯の入った桶を手にし、手拭いを浸して彼は去ろうとする。桶の湯がわずかに跳ねる。
- 5 -
「あなたさまがっ…」
ふいに袖を掴んでしまったせいで桶の水も跳ねる。
「…あなたさまが、武士だということは承知しています。武士が死と隣り合わせだということも…」
「…何が言いたい」
彼は先ほどとは違い静かに私の目を見据えていた。
「でも私は、あなたさまの傷の手当てなどしとうありません…っ」
声がくぐもり後が続かない。涙が滲みそうになって思わず下を向いた。
僅かな沈黙のあと、そうか、と声が降った。
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ならば、
彼を見てぞくりとした。
悲しそうな、だけど冷ややかな目をしていた。
「もう俺と関わるでない」
私の手を払い、去っていく。
「あなた、さま…」
これがこの人なりの優しさなのは知っているけれど、心に刺さるものが無いといえば嘘になる。
この人は真っ直ぐな武士だ。私のような娘が出来ることなど何も無い。
わかってはいるけれど、黙ってはいられなかった。
「あなたさま…っ」
- 7 -
暖簾をくぐり、店を出る。
娘の私を呼ぶ声に背を向ける。
振り返る事は出来ない。振り返りたくても、私の両足はむしろ速く交互に動く。
私に彼女は見合わない。
彼女は純白そのものだ。
私とは、住む世界が違うのだ。
やはり–––––。
自分の掌を見つめる。
私のこの血で汚れた手で彼女と掌を重ねる、私には、その「覚悟」がない。
いつか、護ろうとした彼女すら、握りつぶしてしまいそうで––––。
- 8 -
すぐそこで、先程斬り合った男が待っていた。
「この一件、殿にもお伝え申す。あれは殿がお側にと望まれた娘。其方が幾ら懸想すれども無駄なこと」
男はせせら笑う。彼は刀の柄に手をかけた。あの娘と共に生きられないのなら、せめて。
「御免」
暫くして、或る侍が鬼になったと噂が流れた。鬼は同輩を屠り、団子屋の娘の背にも傷を負わせたという。殿様は娘の傷を気味悪がり、娘が奥に入る話は立ち消えとなったそうな。
- 完 -
作品情報
鬼の手護り
#17004
- リレー期間
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10ヶ月