放課後の雨

「雨は好き?」 いつも聞いている声より柔らかい声が響く。 「雨…ですか。」 教室に人影は無く、この教室には彼女と 自分の二人きりだった。きっと彼女も二人の 沈黙が重くて質問したわけではない。きっと 本気で気になったのだ。彼女はそんな人 だった。自分はそんな所も彼女の魅力だと 思っていた。 「好きですよ…。雨。あなたは?」 いつもとは違う呼び方をするのも、きっと 雨のせいだと、自分に言い聞かせる。

music

11年前

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「ふふっ」 小さく含み笑いをした彼女は、僕の目の前の机の上に座った彼女の、その綺麗な髪が風になびく。 「好きよ……雨。」 彼女が僕の目を覗きこんだまま雨、そう言うまでに永遠を感じた。 彼女の綺麗な瞳に吸い込まれそうで、慌てて軽く咳払いをして話題を振る。 「そっ…そうですかっ。そういえば今日雨降るみたいですよ?傘、持ってきました?」 慌てる僕を見て彼女はまた小さく笑う。 全く、敵わない。

Jack

11年前

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彼女は教壇に立つ立場。先生。 普段は気持ちを包み隠して『先生』としか呼べないけれど、今なら特別な距離感になれる気がして『あなた』と呼んだ。 僕は教えを請う立場。生徒。 大人と接する機会の多い生活を送ってきたから、目上の人への敬語は抜けない。 でも中身は子どもだな。 大人の余裕が羨ましくて、もどかしい。寛容に湛えられた彼女の微笑みを、僕は照れ隠しでしか返せない。 「ええ。折り畳み傘があるわ」

おやぶん

10年前

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「そ、そうですか。なら良かった」 返す言葉を探りながら、僕は下を向いた。 先生が好きなわけじゃないんだ、と言い聞かせる。 ただ、雨を好きかどうか聞いてくる、その無邪気なところとか、大人の余裕とか、そういうところが僕を…ドキドキさせる。 窓を雨が叩く音がした。 「降ってきちゃったわね」 先生が窓を開ける。僕はその後ろ姿をぼんやり見つめた。 雨に手を伸ばす彼女は無垢な子供のようだった。

Dangerous

10年前

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もしも、先生が僕と同じ歳だったなら、僕は今彼女のことをからかっていただろうか。対等な立場にたって、肩を並べて。 でも、きっと、先生はどんな歳の頃であっても、からかうと同じ反応をみせてくれるんだ。そんな気がする。 雨を運んだ空気はじっとりと肌に重く、涼しかった。 「僕、実は忘れてしまったんです。傘」 嘘だった。天気予報は見てきたから。でも、手元に傘が無いのは本当のこと。 「送ってあげようか?」

aoto

9年前

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彼女は窓をゆっくり締めた。 「いえ、雨が止むまでここ待ってみようと思います。」 僕と彼女しか居ない教室。電気もつけず薄暗く、ジメジメした空間。そして、ゆっくり時が進んでいく感じ。 この全てが新鮮で艶美に思えた。 「そう。なら私も付き合うわ。」 そう言うと、今度は2つ前の席に腰を下ろした。 沈黙の中、窓の外を眺める彼女の横顔は、世の中に存在する物質の中で最も美しく感じた。

sm

9年前

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そして、同時に見せる凛とした彼女の姿が、僕の言葉を一人の教師として受け止めようとしている事に気付かせてくれた。 答えは既に決まっていて、それはとても視野が広くて大人っぽい考え方なんだろう。先生は文字通り先の時間を生きていて、僕はまだ幼いんだ。 それでも、せめて雨上がりを待つ間だけは、先生のそばにいる資格があると信じていたかった。

9年前

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先生にとって僕はいつまでたっても生徒のままで、きっとその距離が埋まることはない。 でも今だけは、雨に降られているこの時だけは、僕たちは同じ時間を過ごしていると思いたかった。 「雨のどんなところが好き?」 いつもは交わることのない悪戯っぽい彼女の瞳がふと僕に向けられる。 「奇跡を、起こしてくれるから」 このひと時はきっと、僕が大人になっても雨が降るたび思い出し、きらきら輝き続ける気がした。

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「私はね。雨が好きなのよ」 先生は立ち上がり、僕の方に歩いてくる。 「目、閉じてて」 先生の少し冷たい手が僕の目を覆う。 先生の髪が頬に当たるのを感じる。それは、躊躇しているかのように少し揺れた。 「いいよ」 先生の手が離れていく。 「雨、やんだみたい」 先生が言った。 「みたいですね」 「帰ろっか」 そう言って微笑む先生の笑顔はとても綺麗で無邪気で。 僕はこの笑顔を忘れない。

佐久間

9年前

- 完 -