幸せな夜、花火の思い出

ちょうちんが、ふんわり揺れた。湿気と蝉の声と。たくさんの人、橙色の灯り。あなたの紺色の浴衣は、夜の色に溶けてしまいそうで。せめて頬の桃色が誤魔化せたらと、私はうす桃色の浴衣を着て、うつむく。あなたはふわりと微笑んで、私の肩を抱いた。幸せで、幸せで。なのに胸がつまるのは、きっと、幸せの終わりが怖いから。かすてらの屋台を探して歩く。あなたと二人、手を繋いで。からころと、下駄を、鳴らす。

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屋台なんて見つからなければ良いのに。そうすればきっと、ずっと。この時間が永遠に続くんだ。 でも、あなたはすぐに見つけてしまう。見つけて、微笑んで、あったよって。 どうして見つけちゃうの?見つけちゃったらこの幸せな時間が終わるのに、どうして。 うつむいた私に、心配そうなあなた。 「体調でも悪いの?」 何もわかってない。バカ。 「はい、カステラ」 微笑んで、私の口にカステラを放り込んだ。

森野

11年前

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あなたの指が、私のくちびるを撫でる。あなたはその指をくすくす笑いながら自分の指で舐めながら、「甘いね」と言った。 私のくちびるには、カステラなんてついてないはずなのに。私を惑わせるあなたの言葉の方が甘い。 人の群れだけは時の流れを作る。 私とあなただけ、スローモーション。時がゆっくり動いている錯覚。 桃色の頬は赤く染まる。

11年前

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「…楽しくないんかな?」 急に困った顔をするなんて、ずるい。 急に、急に気遣わないでよ。 そんな覗き込まれたら、ばれちゃう。 「楽しいよ。お腹空いちゃった」 楽しそうに、明るく、可愛く返事をすると、貴方はハハッと笑った。 「カステラ食べたばっかりなのに、食いしん坊だな」 熱々のたこ焼きを二人で分け合う。 さっきの仕返しで、彼の唇についたソースを舐めとってやりたい衝動に襲われた。 あぁ幸せな時間

Dangerous

9年前

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なんて幸せな時間なのかしら。今は人が行き交う喧騒も、生暖かい夏の夜の熱気も、あなたと私を取り巻くすべてが愛おしい。 そんな心地よさに浸っていると、突然、弾ける音と色とりどりの光。 「花火だ。でもここからじゃ少し見えないね。場所を変えよう」 そう言って、あなたは口元のソースを拭って私の手をそっと引き、人の波を泳いでいく。 少し汗ばんだ彼の手。

真イカ

8年前

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灯と夜店が並ぶ参道を離れて、薄暗い側道へと逸れた。花火のよく見える場所を探す。あなたと二人、手を繋いで。からころと、下駄を、鳴らす。 どぉん、腹の底に響く音が近くなる。 不意に私の足がもつれ、温かい背中に倒れこむ。振り向いたあなたの腕に飛び込むかたちになった。 頬は花火の赤よりも紅潮しているだろう。どぉん。空に大きな鼓動が脈を打つ。唇が近づいて、離れる。 幸せだからこそ。 終わりが、怖い。

8年前

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「どうしてそんな悲しい顔をするの?」 心配そうに私の顔をのぞき込むあなた。 「そんなことない。幸せなの」 嘘じゃない。本当にそう思っている。 「幸せなのに悲しいの?」 「幸せだから怖いの。今が幸せの絶頂だったら、あとは下るだけでしょう?悲しいの」 だって明日もあなたが私の隣で笑っていてくれる保証なんてないでしょう? そんな私を包み込むように… あなたの優しい声がふってくる。

mei

6年前

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またあの夢だ…。 目覚まし時計の時間を確認する。 夏になると夢に現れる故郷での思い出。 一人暮らしにも会社にも慣れてきた。 トーストとコーヒーの簡単な朝食を食べる。身支度を整えて最寄駅までの道を歩きながらふと、久しぶりに今年の夏休みは故郷へ帰ってみようかなと思った。 明日もあなたが私の隣で笑っていてくれる保証はないと思った私は、今もあの夏から一歩踏み出せずにいる。

tati

6年前

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明日もあなたが私の隣で笑っていてくれる保証はない。そのあとあなたは 「それても今は幸せだから」 と言って私に唇を重ねたのだった。 あなたの優しい声が、まだ残っているようで、私は自分の奥底に耳を傾ける。 まだあの夏に囚われている私と、幸せな夏の夜の余韻と。 彼の声を思い返しながら、私はあの夏へのとびらを再び開けたのだった。

Utubo

6年前

- 完 -