私は神だ 空からいろんな物を見渡せる。 もちろん、世界中どこまでも、だ。 さて、今日はどこを覗いてみようかな
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父に神様が乗り移って1週間が過ぎた。 毎朝7階の窓から外を見下ろし、穏やかな笑みを浮かべる。 真面目一辺倒の父が、その堅さ故、ついに精神に異常をきたしてしまったのではないかと心配したのも束の間、ちゃんと頭上には神様らしい金色の輪っかがぼんやりと浮かんでいるから間違いない。 神様は何を思ってか、父に乗り移ってしまったのだ。
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窓際に佇み外を見下ろす父の横顔を、朝食の準備を手際よく進めながら母がそっと伺う。 手にした包丁をリズムよく動かしながら、ちらっと見ては何かを言いたそうにしている。 母はきっと、父を取り戻したいのだ。もちろん、その気持ちは私だって同じ。 でも、姿は父といえ、相手は神様だ。 私達は神様に立ち向かって大丈夫なのだろうか? 「ご飯、できたわよ」 母と私が食卓につく。父は、窓の外を見つめたままだ。
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「ご飯よ」 母が今一度、少しきつい口調で言った。父が漸くこちらを見る。 「いらない」 父の口はそう動いた。つまりは神様が食事を拒否したわけだが。 「私は神だから食事は摂らなくても平気だ。外を見ている方がいい」 母が眉根を寄せた。私も溜息をつく。食事の度、いつもこの遣り取りなのだ。 「いい加減にしてください」 終に母が怒鳴った。 「貴方はよくても夫の体は生身なんです。ご飯を食べなきゃ死にますよ」
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「し、しっ、知っておるし分かっておる。ただ神が食す様を想像できるか?神は創造できるが、想像はできぬのだ」 「訳のわかんないこと言ってないで、頭の輪っかを外してください。そしてここに、ここに座って御飯を食べて歯磨きして会社に行ってください。待ってるんでしょ?部下さん達が」 父はどうもバツが悪そうだ。神なのに言われっぱなしなのが居心地を悪くさせるのだろう。 と見てるうちに、母の頭上に輪っかが現れた。
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「母さん・・・」父は、母の頭の上の方に目を向けた。 「その頭の上の輪は何だ?」 「わたしは女神ですよ」 「女神?」 父は、そう言い、怪訝な顔を食卓で眠そうにしている私に向け、何かを求めていた。 その父の頭には、輪っかは消えていた。 そして私は、この一週間の出来事を《父に戻った父》に話した。
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話を聞き終えた父は自ら会社に電話をかけた。 「迷惑をかけた。また連絡する」 この一週間、父は体調を崩して電話にも出られない事にしていた。そんな話を信じて貰えたのも、父が築いて得た信頼のおかげなのだろう。 「さて、では女神殿。こちらで話をお聞かせ願えますか」 父は母を客間へと案内した。堂々たる父の言葉に女神になった母も気圧されように従う。 それから3時間、二人はまだ部屋から出てこない。
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長すぎる。 なんだか心配になってきた。 私は部屋の様子を探ろうとドアに耳を押し当てた。 何も聞こえない。 ベランダから回って覗いてみるか? ベランダへ出た。 7階の風は結構きつい。 自宅と言えど私はあんまりここへは出ないので新鮮だ。 って、新鮮さを感じてる場合じゃない。 客間の窓はっと? おっと、カーテンが閉まったままだ。 仕方ないので、ばれないように寝そべりながら窓に耳を当てた。
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「どうか、母を返して下さい。大事な、世界に一人の母なのです」 父のその言葉は、ただ純粋に母への愛のこもった言葉だった。そんな姿を見たことのない私は、我知らず赤面する。 女神の返答はない。 まだか、まだか。 どれ程時が過ぎたか。寒くなって来たな。そろそろと部屋に戻ろうとした時だった。 「神は、いつでも見てますよ」 そう、一言だけ言った。 その日から父は、時折窓から外を見るようになった。
- 完 -