気付いたのは偶然だった。 久しぶりに部屋の掃除をしていて、何となく違和感を覚えたに過ぎない。 半信半疑のまま引っ越し当時に不動産屋からもらった間取り図を引っ張り出す。確認してみると、やはりおかしい。 ワンルームの角部屋で至ってシンプルな間取りなのだが、各所の寸法が微妙に違う。 私の計算が間違っていなければ、リビングとユニットバスを隔てるこの壁の中に、三畳ほどの謎の空間が存在する事になるのだ。
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壁を叩いてみると明らかに空洞のような音がする。 少し怖くなってきたが好奇心が勝ってしまう。ここでドラマなら壁を壊すのだろうが私にそこまでの度胸はない。 とりあえず不動産屋に電話してみる。 「そのようなことは前担当からは聞いておりません。」 まあ、要約すると前担当が逃げたからわかりませんということだ。
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無責任なことこの上ない。……が、トントン拍子に進めてしまった自分にも非は認められる所だ。転勤族で引っ越しには慣れているという過信が招いてしまった今回の貧乏くじ。再度引っ越しする金を思うと色々痛む。 (どうせすぐ越すだろうし、見なかったことにしよう) 昔の家の建築にはこういう異様な間取りがあったと聞く。そこは家主しか入れぬ決まりがあったとか、風習が何とか。 まぁこのアパートは新しい方だが……
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考えても仕方がない。見なかったことにすると決めたのだ。私はそれを貫くことにした。 これまで暮らしていて何の問題もなかった。持ち家でもない。奇妙な空間があろうとなかろうと、どうでもよいではないか。 無理矢理自分を納得させ、一ヶ月。 また掃除をしようとした私の背筋に冷たいものが走った。 まさかと思いつつ、メジャーであちこちの寸法を測る。 間違いない。 部屋が、この間より縮んでいる。
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こうなると無視する訳にはいかない。何故なら物理的な問題が出てきたのだ。 家具と壁の隙間がなくなった。そのうち家具が出っ張ってしまうだろう。 見えない空間を見つけ、そこも利用しなければ。怖がってなどいられない。 「ここは、今は私が占有権を持っている筈だ!」 自分に言い聞かせる為に、部屋の真ん中でそう言ってみた。 あの怪しい壁に近付き、トントンと叩いてみた。やはり空洞の音。 「……入ってますよ」
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空洞の中から聞こえた声は女だった。空洞の中に女が? この部屋は空洞に侵食され縮まっていっている。空洞に何らかの意思があるような。 まさか。 もう一度、ノックしてみる。 「入ってますから。静かにしてください」 トイレでの応答のような違和感。空洞自体が女なのか、それとも空洞に人がいるのか。 「あなたはいつからそこに?」 奇妙な出来事だが冷静に質問していた。 「ずっと前から」 返答はか細い声だった。
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ただただ、驚いていた。 「ずっというと、あなたの職業は地縛霊ということでよろしいでしょうか?」 恐る恐る質問すると、またしても壁の向こうからか細い声が帰ってきた。 「そういうことになります」 これは幻聴ってことは、なさそうだな。 なんだなんだ?この部屋で事件や事故があったなんて聞いてないぞ?格安物件でもないもんな。 突然のことに混乱しつつも思考を巡らせたが、なにもわかるはずもない。
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とりあえず、挨拶しなければ。 「始めまして。挨拶が遅れましたが隣に引っ越して来たものです。騒がしくしてしまい申し訳ありません。」 地縛霊に挨拶するなんて奇妙な事だが、不思議と怖さは感じていなかった。幽霊は苦手な筈なのに。 「丁寧なご挨拶ありがとうございます。」 か弱気な声ながら、地縛霊も返して来た。 「あの…怖くないんですか?」 「はあ…不思議と。」 「本当ですか⁉︎」 か細いながら、弾んだ声だ。
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もし顔を突き合わせていたなら地縛霊は、明るい表情を見せたに違いない。 「…そうですよね。怖い筈、ないんです」 その独白は鷹揚に過ぎた。 本能が危機を直感するも時すでに遅く、部屋の縮図は大幅に変貌し始める。 「や、やめ…」 ──家具が、窓が、扉が。 みるみる圧迫感を増す三畳間に押し潰されてゆく。 「…この世を離れたら怖いものなんてありません。さぁ、お隣さん遠慮せず」 ……同居はいかがですか?
- 完 -