そうして、彼は引鉄を弾いた── 「教授、それではお話が終わってしまいますよ」 「いいんだ。僕はそのつもりで書き始めたのだから」
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それはありがちな男女の物語だった。 身分の違う二人が、ひょんなことで出会い、恋に落ちた。 お互い愛し合ったのに、逆らえない運命が恋人たちを引き裂く。 永遠を望んだ二人は死を選ぶ…。 「そして引鉄を弾いた後どうなったかを考えてもらえば、その人の性格が分かるだろうというのが今回の実験なんだよ」
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教授は笑いながらそう言っていた。 私達は、こうして人間の思考から心理状態を汲み取る研究を行っている。 成果はまだイマイチながらも、多くの人の気づかない部分に気づいてもらえれば。 そう思いながら、日々研究に勤しんでいた。 今回は、前述の物語の終盤シーンからどうなるかというのがテーマだ。 「なるほど、前向きに捉えるか、後ろ向きに捉えるか……ですか?」 私がそう聞くと、教授はこくりと頷いた。
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「でも教授、それだけを調べるならわざわざこんな手間の掛かるテストよりももっと簡潔で分かりやすテストはいくらでもありますよ。」 それこそ本人の意識しない所でのやりとりで幾らでも。 すると教授はニヤっと笑った。 「ははは、確かにもっと手っ取り早い方法はあるだろう。だが、今回のはちょっと工夫を凝らしてみたんだ。君にはわかるかな?」 教授は眼をキラキラと少年の様に輝かせて笑っている。
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「工夫…かどうかは分かりませんが、この物語は冒頭から身分の違いとあるだけで、具体的な立場を指摘していません」 王女と兵士。召使いと貴族。奴隷と軍人。それらの立ち位置が明確であるからこそ、男性と女性とで読み方が変わるのではないのか。 「そう。この物語は二人の繋がりを曖昧にしてある。立場というものはそれだけで人格に影響を与えてしまうからね」 言い終わると「でもそれだけじゃないんだ」と付け加えた。
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「死に方をこちらで指定しているところがポイントなんだ。死ぬ方法はいくらでもあるだろう。けれど"引鉄を引いた"という言葉でないとだめなんだ」 イタズラをしかけた子供のように教授は満足気である。 訳がわからなかった。なぜそれがポイントなのだ? 私は脳内で二人を思い浮かべてみた。 悲しげに引鉄を引く彼… そして不可解なことに気がつく。 「教授、片方が引鉄を引けば、死ぬのは片方だけではないですか?」
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「その通りだ。二人は死を選んだ。けれど、引鉄を引いたのは彼だった。ここで二人の死ぬ順番が生まれる。 彼は自分に向けて引鉄を引いたのか。それとも、彼女に向けて引鉄を引いたのか。 前者の場合、彼女が生き残る。 後者の場合、彼が生き残る。 引鉄を引いた後の展開を考えるとき、この分岐点は重要なものだ」 私は教授の説明に、違和感のようなものを感じた。 「これ、少しおかしくないですか?」 「なぜだね?」
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「二人共が死を選ぶというのに、どちらが先に死ぬかを分岐点にしても無意味な気がするのですが。」 「心中、という結果だけを見ればね。」教授が説明を続ける。「だがこうは考えられないか?前者の場合は自殺になるが後者の場合は他殺、という事になる。何故愛する人を殺す事が出来るのか。 いや、愛しているからこそ引鉄を引く事が出来るのか。この分岐によってその心理は大きく変わってくるのだよ。 」
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「なるほど…。私は教授としての貴方を尊敬していますし、男女としても愛してもいます。でも…貴方と私、教授と助教授の立場から考えれば、貴方は私にとって目の上の瘤。愛人として本妻との別れを迫る私は貴方にとっての瘤。愛しているからこそ引鉄を引くというのも理解できますね」 教授の表情はさっき迄とは打って変わった。 「それで?今の心理状態はどんなかね?」 「よくお判りでしょ」 ──そうして、私は引鉄を弾いた
- 完 -