誘う香りは彼女から

「花酔い」という言葉は聞いたことがあった。
ごく稀に、体から花のような香りを発する人間がいる。とても微かなもので、大抵の人間はその香りに気付かない。
しかし、さらにごく稀に、その香りに敏感に反応する者がいる。嗅覚が鋭いわけではなく、その香りにだけ反応するのだ。
そして、噎せるような花の香りに酔ったような状態になる。

新学期、教室に入った瞬間、クラッときた。
誰かが大量の花を生けてるのかと思った。

灰梅
- 1 -

香水の様な、精製された甘いだけの香りとは違う。瑞々しくも、少しばかり青臭さが鼻をつく、生花の匂いだ。弥枝子おばさんが好きな白くて大振りな花と似ていた。ぼくは花には疎い。とにかく濃厚な匂い。その出所を嗅覚頼りにキョロキョロと探った。クラスメイトはきっと奇異なものを見る目でぼくを見ていたろう。
ぼくはついに行き当たった。見覚えのない、おかっぱ頭の女子。日本人形みたいな顔。切れ長な目に赤い唇。

113
- 2 -

―美しい人だった。
彼女はどこか遠くを見つめていた。彼女と話してみたい。けれど、彼女は自身が香りを発していることを知っているのだろうか?花酔いのこと以外にぼくは彼女に話しかける理由は無いのだ。もしも彼女が花酔いのことを知らなかったらぼくは奇妙なクラスメイト扱いされ、下手したら3年間一人で飯を食らうことになるだろう。こうして考えている今も、彼女の香りで頭がクラクラしてくる。

- 3 -

ひとまず花酔いがこれ以上酷くなる前にここから離れよう。ちょうどそう思った時だった。ふっ、と彼女が急にぼくの方を向いて、

目が合った。

それは蒼かった。まるで空を閉じ込めたかのような。日本人形のような見た目にそぐわない蒼い瞳がぼくを捉えた。綺麗だと思った。とても綺麗だ、と。
その瞬間今までとは比べ物にならないくらいの香りがぼくを包んだ。まずい。そう思った時にはすでにぼくの意識は途切れていた。

onogata
- 4 -

眼が覚めるとぼくは保健室のベッドに寝ていた。
白いカーテン、白い天井、白いシーツ。

そしてどこまで蒼い目。

思わずぼくは息を飲んだ。
何故かベッド脇の簡素なイスに、彼女はいた。
そう、いたという表現が当てはまる。
そのぐらいパイプイスに座り、ぼくを見ている蒼い目は感情が感じられなかった。
「あの…」
なんて話しかければいいか分からない。ただ、あの花の香りは無くなっていた。

ryo
- 5 -

「ごめんなさい。八つ当たりみたいになったけど、あれは事故だから」
平坦な言葉だった。謝罪の念は感じ取れなかったが、彼女が花酔いを自覚していることは分かった。

「貴方、花は大好き?」
極端な質問に戸惑うも、透き通る蒼から目が離せない。嫌いな人なんているのかな、と曖昧に答える。
「そう?私は、大嫌いよ」

彼女の手には小さな花瓶が握られていた。鈴みたいな白い花。ついさっき摘んだのか、瑞々しい。

似瀬 晴哉
- 6 -

どうして花が好きなの? 彼女は白い花びらを弄びながら言った。乱暴な手つきだ。花びらが千切れそうに危うく揺れる。

「花は見ていて綺麗だし、香りもいいし……」

そう答えると彼女はさも楽しげに笑った。さらさらと髪が揺れる。

「花は違うでしょうねぇ」

「違う?」

「だって、花は貴方のために咲いているわけじゃないわ。あの見た目も香りも貴方のためにあるわけじゃないでしょう」

妙子
- 7 -

まあそうかもしれないけれど……。
「でも、ぼくは花がある世界に生まれて感謝しているよ」
花にとって見た目や香りは生殖活動の一部でしかないとしても。

「花に助けられた人はたくさんいるんじゃないかな」
「……貴方、花酔いがひどいのに?」
「それを言ったら、車酔いする人は車に乗れないね」
彼女は長い睫毛を静かに瞬かせて、何かを考えている。

「じゃあ貴方と試してみてもいい?」
「何を?」
「花の生殖」

ユリア
- 8 -

思わず咳込んでしまう。
「私、イヤラシイことでも言ったかしら。貴方の体質があれば、香しい花を生み出せるかなと思ったのよ?」
彼女は得意げになってニヤニヤしている。図星を飲み込むと、僕は彼女の話に乗ってやる。
「いい考えだね。花酔いは悪いことじゃないもの。実際気持ちいいんだ。だから、君も花のことを大切にしてあげて」
花酔いする癖に。捨て台詞を吐きながらも、彼女の指は花びらから花瓶の方へ向かっていた。

aoto'
- 完 -

novelnoveは
9人でひとつの
ストーリーを完成させる
参加型小説アプリです。