太陽の下で

庭の向日葵が揺らめいた。 縁側に寝そべって居間を見れば、線香の煙越しに母の遺影が笑っている。 「嘘みたいだ…」 僕と彼がぼんやりとしている間に、大人達はテキパキと支度をして、念仏を聴いている。 「葬式には参加しないのかい」 「辛いだろうって」 「なるほど」 彼は僕の裾の捲り上がった太腿を見つめて言った。 「驚いた。お母さんと同じ黒子だね」 「母の黒子をご存知ですか?」 彼は困ったように笑った。

けあき

12年前

- 1 -

「君の父上もまだ、彼女と出会うずっと前のことだ。泳ぐ彼女を、見たんだよ」 彼の金茶色の瞳が、追憶をなぞって宙を移ろう。 父を敬称で呼び、母を"彼女"と親しく呼ぶ彼を、僕は咎める気にはならなかった。母と彼の間には、他者には触れさえ出来ない、細くも確かな糸があったと知っているからだ。 「あれ程美しいものは、もう見ることはないだろうね」 水底で泡沫を吐くような、静かに解ける声だった。彼の姿がふと揺らぐ。

みかよ

12年前

- 2 -

煙か光か目の前を白が彷徨って、彼女が泳ぐ姿を見た。青に緑が浮かぶなか、その断層に、ところどころ太陽がうつろう。 そこを彼女は切るように。すとのびる白い四肢。左脚が持ち上がるたび、右太腿の黒子が覗く。泡を舞わせて泳ぐ彼女はただ美しく、そして視座と黒子を結ぶ、確かな糸があった。 確かな糸。僕は白日の海から醒めて、いないのか、念仏を終えた大人たちに呼ばれて立ち上がる彼を追いながら、僕自身の黒子を撫でた。

noName

12年前

- 3 -

「母は…」 去る彼の背中に呼びかけようとするが、言葉は切れた。二の句を告げることのできない静寂は彼の足を止める。 何かを尋ねるつもりだった。 聞かなくてはいけないことはたくさんあるように思えた。 きっと、今この瞬間にしか引き出すことのできない模糊があるはずだった。 僕は黒子をもう一度撫でた。 物事を現す適切な色などないように、過去に対して投げかける言い回しは、どれもが不適切だった。

aoto

12年前

- 4 -

問いかけたかった何かは言葉にならず、どろりとまた僕の喉の奥へ落ちていった。 きっともう戻ってはこないのだろう。じっと僕の言葉を待つ彼の金茶色が優しすぎて、言葉は重く深く閉ざされていく。 俯いた先に滲む黒点。 母の遺した消えない縁(えにし)。 愛おしく、けれどどこか憎らしい黒に僕は無意識に爪をたてた。 自分が泣いていることに気付いたのは、彼が僕の頬に指をのばしたからだ。

やまと彰

12年前

- 5 -

涙を拭う手は、孤独を癒す手ではない。けれど、言いようのない虚無や不安を肯定するには十分だった。 彼に添われて、母と対峙する。少女のようにいとけなく笑いかける母。そして長押から柔らかい眼差しで母を見守る、少し色褪せた父。二人の世界は、もう黒い枠の中にしかない。 「母は、幸せだったのでしょうか」 不意に言葉が零れ落ちた。さっき喉の奥に落ちた何かとは、違う。 彼には、決して尋ねてはいけないことだった。

lalalacco

12年前

- 6 -

僕の涙を拭ってくれた指先が、ふと、見えない壁に行き当たったように離れて行く。 さらりと乾いて穏やかな、やさしい指先だった。 白く烈しい光のなかで、向日葵が重たげに顔を上げている。 「彼女は………」 ゆるりと庭に視線を移した彼は、そこでいったん口を噤んで。 それから優雅といっていいほど静かに、彼は微笑ってこう言った。 「きみのお母さんは、とても美しい人だったよ」

ZARA

12年前

- 7 -

「そしてきみも、とても美しい。彼女とは似て非なるものだ」 彼は笑う。金茶色の瞳は細まりながらも、視線は僕から離されはしない。向日葵が、彼と重なる。太陽を夢見る大輪の花。びっしりと種を付ける、強い生命の。 母は太陽だったのか。それとも向日葵の根本の雑草だったのか。そんなことを考える。 火葬場にはついていかなくてはならない。僕と彼は黒い車に乗る。 僕は知っている。 彼の太腿にも、黒子がある。

12年前

- 8 -

「私の目はあなただけを見つめる」 車の中で彼は言った。 「え?」 「向日葵の花言葉さ。庭に咲いていたろう」 どういう意味なのか、尋ねる必要はなかった。 「ときどき、お参りに来てくれますか」 僕が言うと、金茶色の瞳が初めて潤んだ。 「ありがとう。君さえよければ、そうさせて貰うよ」 煙になった母は空へ昇った。僕と彼は外で見送りをした。 母は美しい太陽だった。 僕も彼も、そのことをずっと忘れない。

ヒイラギ

12年前

- 完 -