ようこそ、今泉探偵事務所へ

録画しておいたミステリードラマを流しながら欠伸をする。退屈だ。それもそのはず。 「純さんがネタバレしちゃうからつまらなくなったじゃないですか」 新聞から目をあげ、からからと笑う。 「ネタバレなんてしてませんよ。ただこの先の展開を推測しただけです」 「純さんの推測は正解なんですからやめてくださいよ」 純さんは人を観察するのが好きだ。黙ってコーヒーを飲みながら道行く人を眺めている姿をよく見かける。

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「人をじっと見てるとさぁ…」 純さんは窓の外に目をやった。 「その人もがどんな人なのかなわかっちゃうんだよねー」 そう言って純さんは私を細い目でじっと見つめた。 「やめてくださいよ…私を観察するの!」 「みおりんさぁ…今好きな人いるでしょ!」 「い…いいいい…いないですよ!それに…その呼び方やめてください…」 純さんはごめんごめんと軽く返事をし、またクルッと回って外を観察し始めた。

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コンコン… ドアをノックする音に、瞬間的に身体が反応する。時計は、午前10時を指している。電話で、約束していた時間通りだ。「お待ちしておりました。お電話でご相談された、橘様ですね?ようこそ、今泉探偵事務所へ。私、相談員の神宮寺 美織と申します。そして、あちらの窓際にいらっしゃるのが、所長の今泉 純になります。どうぞ、こちらのソファーに掛けて下さい。」会釈し腰掛けるも、彼女の表情は冴えず俯いている。

愛林檎

10年前

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「ご相談はあなたの恋人についてですね」 詳しい内容は電話では聞いていないのに、突然純さんが言った。彼女が驚いたように顔をあげる。 「なぜそれを」 言い当てられても彼女はためらってるみたいだった。また俯いて口をつぐんでしまう。 「心配で何日もよく眠っていないのでしょう? さあ、お話ください。早く話せば問題もそれだけ早く解決すると思いますよ」 純さんは窓辺の席から立ち、女性の向かいのソファーに座った。

noname

10年前

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「素行調査、迷いますよね。婚約も済ませているのですから当然でしょう」 「……あの」 純さんの人間観察はかなり正確だが、対人関係に活かされてるかというと…ご覧の通りだ。 「所長、そんなに急かしてはダメですよ。吃驚なさってるじゃないですか」 「これは失敬。あ、謎解き?…少し濃いめのお化粧は肌荒れのカバー、左薬指の日焼け残りは普段されている指輪の不在、ご住所は会社の女性寮なので未婚…こんなとこですかね」

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「すごい…! どうして、そんな…」 彼女は目を丸くしたまま、固まってしまっていた。 「では、彼のことについて、少しお伺いいたしましょう」 純さんが柔和な笑みを浮かべる。話を急かさなければ、誰もがその笑みに安心感を覚えるのに。 彼女は珈琲を口にすると、訥々と話始めたのだった。 「私の婚約者青山幸仁は警察官として働いております。裏表のないハッキリとした性格です。けれど、近頃人が変わってしまったのです」

aoto

10年前

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「変わった、ですか?」 結婚してから人が変わるというのはよくある話だけど、結婚する前、しかも婚約しているのに、人が変わるというのはあまりないんじゃないかと、私はちらりと純さんを見た。 純さんは相変わらずの穏やかな目で彼女を見つめている。 その口がゆっくりと開く。 「例えば、それまでは早く帰ってきていたのが、急に遅くなった、というようなことですね?」 彼女が目を見開いた。

asaya

10年前

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「……どうして、そこまで」 純さんはあっけらかんと笑った。純さんがこんなに大きな笑顔を見せるのは珍しいので、私はそれがどういう意味を示すか知っていた。 「今のはただの当てずっぽうですよ。そうですね、でも、当たっているなら、あなたはポケットを探ってみるといいと思いますよ。そこにあなたの不安を解決する鍵が眠っています」 純さんはそう言って窓際に戻ってしまった。もう仕事は終わったと言わんばかりだ。

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「なぜ彼女のポケットに結婚指輪があると?」 事務所の扉が閉じられるのを待って、私は訊いた。 「彼女の上着は今はもう生産されていない古いブランドのものだよ。母親からでも譲り受けた記念の品なのかな。大事な指輪を潜ませるのには相応しいね。遅い帰りは式場選び。上着にハンガーの型がつくほど長く着ていないとなれば、サプライズが不発に終わっているのもわかった」 純さんは再び微笑んだ。 「花嫁に幸あれ、だね」

まーの

10年前

- 完 -