私はロシアンブルーのシベリア。 お世辞にも広いとは言えない部屋で、オスの人間に飼われてるの。 彼はどうやら大学生という身分らしいのだけど、人間の社会のことはよくわからないわ。 名前はダイキといって、いつも私に低レベルなちょっかいを出す。そして、きっと頭脳に欠陥があるだろうって、私は確信してるわ。…ロシアの首都が、シベリアだと思っているんだもの!
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私の朝はダイキを起こすことから始まるの。じゃないと、ご飯を貰えないままダイキが出かけてしまうから。不便なものね、ご飯の缶は私の爪じゃ開けられないんだもの。 今日は私がご飯を食べるのをじっとダイキが見ている。こんな日は、ダイキになんの用事もない日だわ。ダイキは時々物憂げにこう呟くの。 ああ、俺も旅に出たい。お前のふるさとを見てみたいよって。 残念ながら、私はシベリアじゃなくて日本生まれなのにね。
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シベリアは寒いのかな、なんて、まだダイキは呟いてる。今日の物憂げタイムはちょっと長めみたい。 仕方ないから早めにご飯を食べ終えて、ダイキの足に擦りよってあげた。 こうすると、なんだよまだ欲しいのかー?とか言ってころっと笑顔になるのよね。 でも、今日のダイキはちょっと違ってた。 優しく私を撫でてはいるけど、表情が変。 毛玉が喉に詰まったときみたいな顔してる。 いつものまぬけな笑顔じゃない。
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ダイキのまぬけじゃない顔はちょっと素敵なの。私だけが知っている顔。普段は口元がだらしない。だからまぬけ顔になるの。 そういえば、夜中に寝言で私の知らない誰かの名前を言っていたな... シベリアの目、緑色だよな。世の中、全部緑色に見えるのか?シベリアの雪も緑色か? ...ダイキはアホの極みだ! でも、私には判っているの。ダイキは夢の中で呼んでいた人の事を想っているんだわ。
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そればっかりはダイキ自身で解決してもらわないと。寂しいけれど、私にはどうこうできる話じゃないのよね…。 だから私にできることは、せいぜいその恋を応援する程度。 全く…頑張りなさいよ?ダイキ! 私はダイキに向かって「ニャー」と一声鳴いた。それをどう受け取ったかは知らないけれど、ようやくダイキは嬉しそうに答えてくれたわ。そうかー、俺の顔も緑に見える程なのか、ってね。 …本気で先が思いやられるわ。
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さあ、ダイキ、今日は日曜じゃないのよ。いつまでもノロノロしてないでさっさと学校へ行く準備をしなさい。 ほら、ちゃんと顔を洗って。私がしてる様にこうするのよ。 私は前脚をペロペロ舐めて顔を擦って見せた。それを見たダイキは、シベリア、今日は雨が降るのか?と言った。 そんな事は知ってるのね。そうよ、今日は傘を忘れずにね。今日のダイキのラッキーアイテムは雨傘。 私の占いはよく当たるんだから。
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私が彼の足元にすり寄って、彼の間の抜けた顔を、エメラルドのような双の瞳でじっと見つめるようなときはたいてい曇り。 私が私の可愛らしい前足を、桜の花びらみたいな私の舌でチロチロ舐めて目をこするようなときはきまって雨。 そして今日が雨なら、やっぱり学校なんてサボタージュしちゃえばいいんだわ。 私あなたが好きなのよ。あなた、とっても馬鹿で間抜けだけど、自分の美しさに少しも気づかないあんたが好きよ。
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もう一度、にゃあ、と鳴く。 この気持ちが伝わっているのかは分からないけど、彼の心が少しでも晴れたのなら、それで良い。 ダイキは黙って私の頭を撫でた。 見上げると、彼は優しく微笑んだ。 その笑顔はどこか痛々しく思えた。 胸がチクチクと傷む。 ありがとな。 ただ一言、ダイキは言う。 何のことか分からない私をよそに、意を決したような面持ちで立ち上がる。 近くの鞄から携帯を取り出す。 呼出音が鳴り響いた。
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私は静かに祈った。しっかりやりなさいよ。私は物陰に身を潜める。 こんなに真剣な顔のダイキを見るのは初めてだ。私が祈ってあげてるんだから、成功するに決まってるわ。なぜか自信に満ちているシベリア。 ダイキは携帯を切ると、握ったままドアノブに手をかけた。ダイキは少し微笑んでいるようだった。朝日が射しこむと同時にダイキは駆け出した。その姿を見ていたシベリアは「ニャー」と鳴いた。 いってらっしゃい。
- 完 -