家族のサインポール

赤、青、白が回っている。 金曜日だからなのか、放課後の掃除でゴミ捨て当番になったせいなのか、今日は何だか少しくたびれた。 イヤホンを耳から外しつつ、ドアを押し開ける。 「ああ誠、おかえりなさい」 父さんが刃物を持ちながら僕に声をかけた。 「うん、ただいま」 そう返事をした後、僕は父さんの邪魔をしないよう、すぐに自分の部屋に向かう。 僕の家は、美容院だ。

利休生壁

11年前

- 1 -

昔から地元でも評判の美容院。店内にはいつも順番待ちをしている客の話声が賑やかに漏れ響いていた。 まるでBGMのようで、後は父さんの操るハサミのシャキシャキと鳴る音だけだった。 僕は昔からこの話声とハサミの音が大嫌いだった。 店内を通り過ぎ、自宅へと繋がる廊下に出ようと歩いていると、カットを済ませた馴染みのおじさんが僕に声を掛けた。 「誠君、後を継いだらおじさんを一番最初の客にしてくれよ〜!」

anpontan

10年前

- 2 -

「僕、後、継がないかも」 言ってからとても後悔した。 事実ではあるとしても、確実に今言うべきではなかった。おじさんが、驚いた顔のまま動かない。 何も言えなかった。 無言で自宅へと走り、ただいまも言わずに部屋に入った。 嫌いな英語の問題集を無心でやる。気を紛らわせるしかない。どうせ、後で父さんに呼び出され説得される。 それまでにいい言い訳を作らなくては。

Dangerous

10年前

- 3 -

I don't like hair cut. I like clippers and margarita ...ってマルガリータは違うか。 I have a dream today. I chase a dream fromなう...って最後はひらがなじゃないか。 兎に角だ、美容院以外の将来を求めている。これだけはきちんと理解してもらおう。Do you understand? これは腹立つか。

KeiSee.

10年前

- 4 -

だけどそれがどんな将来なのか、全然決まってないんだよな。 英語にも早々に飽きて、僕は溜息をつきながら窓辺に立った。 家の向かいの歯医者のガラス扉に、サインポールが映っているのが見える。 くるくる回る赤、青、白。休むことなく、どこまで昇り続けている。 店の音は嫌いでも、子供の頃あれを見るのは好きだった。一日中、店の前に座り込んで眺めていたこともあったっけ。 あの頃僕は、どんな未来を夢見てた?

misato

10年前

- 5 -

『僕もおっきくなったらシャキシャキする!』 ふいに幼い自分の声が聞こえた。 それは本心じゃなかった。 片親で俺を育ててくれる忙しい父さんの気を引くための、陳腐な嘘だった。 でも年を重ねる毎にこのお店での音や父さんと客の会話が、邪魔臭く感じるようになった。 寂しさと孤独。 それとも反抗期だろうか。 でもそれが、今の僕の真実。 ノックの音が聞こえた。 僕は窓から身を離す。 「誠、入るよ」

いのり

10年前

- 6 -

「何?後継のこと?」 間髪入れず僕の方から切り出した。 父さんはフッと笑った。 「お前に話して無かった事があってな。サインポール、あるだろうちの店」 「で?それが何?」 「あれは本来は理容院の看板なんだ。でもうちは美容院だ。何故か判るか?」 考えてもみなかったけど、確かにそうだ。免許やら業務内容やら別ものだ。 「母さんの形見なんだ。店の半分は、母さんの理容院だ。誠はよく母さんの真似をしてたっけ」

真月乃

10年前

- 7 -

「な、何で今、そんなこと…」 ボロッと、大粒の涙が落ちた。 机の方に進んだ為に、 問題集の1文をぼやけさせた。 「I don't like hair cut. 」 いつの間にかそれは、 違う文に変わっていた。 「俺…」 「今日は母さんの誕生日だ」 12年前のちょうど今頃、母さんと将来のことを語った。 「大きくなったら理容師になりたい!」 「誠の為にとっておくね、私のサインポール」

赤うさぎ

10年前

- 8 -

「この仕事が、お前の悲しい記憶に繋がっているのは分かってるつもりでいたんだがなぁ」 父さんは僕を泣かしたことに、バツが悪そうに頭を掻いた。 そうだ。父さんは後を継いでくれなんて押し付けがましいこと、僕に一言も言わなかった。 ──言ったのは、自分だ。 自分に、母さんに、そして父さんに。後ろめたくて雁字搦めにななっていた。本当はそんなことなかったのに。 寄り添う三色とは逆方向に涙がこぼれた。

- 完 -