やさいばたけの

茄子が焼香を終えて、私の順番だと白菜が告げた。ふと顔を上げたらお坊さんが大根だった。堪えきれずに吹き出してしまった。居並ぶ野菜達が激怒する。 私はシリアスな場面に身を置くと、周りの人が野菜に見えてしまう。 子供の頃、ピアノの発表会での話しだ。あがり症の私に友達ののんちゃんがまじないをかけてくれた。 「ほらこうするとお客さんが野菜に見えるでしょ」 のんちゃんのまじないは十年経った今でも解けない。

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別に周りが野菜に見えても困りはしない。あの茄子はお母さん、あの白菜はお父さんとなんとなくだが見分けはつく。 お坊さんなどは、次に会ったときは誰か分からないかも知れないが、別に困りはしない。 もう笑わないようにと、私はのんちゃんとの思い出を手繰ることにした。お経を聞いているとしょーもないこと思い出し能力が向上する気がする。ちなみにカラオケで人の歌を聴いている時もこの現象は起きる。共通項は退屈かも。

おかやん

10年前

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のんちゃんは、髪のきれいな女の子だった。 長い黒髪にいつも結わえてあるリボンがひらひら揺れてかわいくて、私はいつもそれを目で追っていた。 私は、あのまじないが気に入ってしまって、度々のんちゃんに尋ねた。 「のんちゃん、あの人、あの人は?にんじん?きゅうり?」 「ううん、あの人はね、かぼちゃ!」 私が笑うと、のんちゃんも笑う。きらきらしていた。 大根のお坊さんのお経は続く。

pinoco

8年前

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亡くなったのは親戚の叔母さんだった。野菜になるとトマトになる人だった。赤い顔の丸っこい輪郭をしていて、だからトマトに見えたのか、なんて考えたときもあった。話したことがあるのは一度か二度くらい。 のんちゃんが見える野菜と、私の見る野菜とは違っている。のんちゃんには叔母さんがどんな野菜で見えたのだろう。また、のんちゃんに会いたいな。 葬式後の会食で出されたトマトは食べずに残した。

aoto

8年前

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葬式後、母は残ったが私は早々にその場を離れることを許された。火葬場とこのまじないの相性はあまり良くないし。会社は休みを貰っていたので、何となく、子どもの頃通っていたピアノ教室へと足が向いていた。 のんちゃんとは幼稚園も小学校も違ったし、その後も一緒になることはなかった。私たちを結ぶのはピアノ教室だけ。中学受験をきっかけに私が先に辞めてしまった。流石にもうのんちゃんもいないのはわかっていたけれど。

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懐かしい磨りガラスの扉には、人影と黒いグランドピアノの影が映っている。拙いけど丁寧に弾くピアノの音が外に漏れ出していた。音色が止んで「ありがとうございました」と幼い女の子の声が聞こえた。ガラガラと引き戸が開いて、小さな女の子が駆けていく。 開かれたままの扉からクーラーの冷気が漏れている。中を覗くと、扉を閉めに来た女性と目が合った。長い黒髪を一つにまとめた見覚えのある顔立ち。

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「のんちゃん…」 「まゆちゃん…」 のんちゃんは十年たっても変わらず綺麗な髪だった。一目でわかった。 のんちゃんも、一目で私だとわかってくれた。 今日のレッスンはさっきの子で最後だから、と言ってのんちゃんは中に入れてくれた。 のんちゃんは今、ピアノの先生をしているんだね。 小さい頃と同じように、一つのピアノ椅子に二人で腰掛ける。ふふ、狭いや。 「のんちゃん、あのおまじない、まだ効いてるよ」

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久しぶりでぎごちない指使いで音を紡ぐ。のんちゃんはさり気なく私に合わせて弾いてくれた。たまに安藤先生に呼ばれて手伝いに来ているらしい。 「先生はひょうたんだったでしょ」 「そう、先生がたまにピリピリした時ね」 私は何に見えるかな。のんちゃんは安藤先生みたいに唇を震わせてしかめ面をする。私はそれがおかしくてプッと吹き出すとのんちゃんも耐え切れず笑った。 のんちゃんは今でも野菜には見えなかった。

12unn1

6年前

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「のんちゃん、叔母さんは何に見えてた?」 「コールラビかな」 コールラビ?と聞き返す私を見て、のんちゃんはにっこり笑った。 「今日担当のレッスン全部終わったし、デパ地下行かない?おもしろい野菜も沢山あるの」 家近いからワンピース貸してあげる、とピアノの布を掛けるのんちゃんを後ろに、喪服ポケットにある塩の袋に手が触れた。別れと再会の日だった。 とびきり美味しい野菜を買って、お塩で食べようと思った。

- 完 -