紫、藍、葵、桜、茜、杏、黄菜、翠、雪──教室で交換小説に興じる九人を突き刺す、嫉妬と憎しみの入り交じる視線があった。ひとり誘われなかった少女、漆である。 「あいつら、絶対に許さないから……」 漆は特に、雪への憎悪をたぎらせていた。引っ込み思案の雪に声をかけて、最初の友達になったのは自分のはずなのに、彼女はいつの間にか紫たちのグループに入り込み、自分のことなんかすっかり忘れてしまった様子なのだ。
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「ねえ、それ見せて」 なんでもない素振りで漆は雪に近付いた。怯えと戸惑いの混じる表情を浮かべ、それでも交換小説のノートは大事そうに抱えたままの雪。その態度が余計に漆を苛立たせた。 「見せてよ。私達、友達でしょ」 漆は無理やりノートを取り上げた。雪は小さくあっと言ったが、それだけだった。 既に九人分の小説が書かれたこのノート。 破いてしまおうか。 汚してしまおうか。 跡形もなく、焼いてしまおうか。
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雪の哀れみの込もった視線に気づき、漆はハッとする。自分は誰にも好かれない、哀れな人間なのだ。そう考えると、ノートを持つ手が淋しさと怒りで震えた。 「漆ちゃん、ノート返してあげてよ。私たちの大切なものなんだから」 紫が漆に向かって言う。私たち……どうしてその中に私が入っていないの?漆はぎゅっと唇を噛んだ。私の気持ちなんて誰にも理解できないよ。 漆は交換小説のノートを持ったまま教室を飛び出した。
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漆は違う学年の階の一番奥のトイレに逃げた。 この休み時間が終わり、次のこの日最後の授業後にHRとなる。 漆は頭を抱えた。後悔の念と、遣る瀬なさがこみ上げる。 手にしたノートの感触がまた煩わしい。 「あの教室に戻りたくないよぉ...」 なんでこんなことをしたのか、自己嫌悪の荒波がしぶきをあげて漆を飲み込む。 私は、バカだ。 漆はもはや他人に対する憎悪ではなく、己のふしだらさを呪った。
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「彩草」表紙の文字を見て天を仰いだ。 「どうしよう...」 と、「漆ー!漆ー!」 私の名を呼んで駆けてくる足音。 ドアの前で止まる。 「漆、そこにいるんでしょ?」雪がドアを叩きながら言う。 「うるさい!こんなの返す!」ドアの隙間からノートを投げた。一瞬の沈黙。耳ざわりな始業のベル。 「具合悪くて早退したって言っておく..」 ノートが静かに私の足元へ置かれた。 「最後の私のページを見て...」
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雪の呟くような声、去っていく足音。 漆はほっとした。そしてノートを手に取って開いてみた。 悔しいけど互いを思う素敵な話。雪も生き生きしてる。雪は変わったんだ、漆はそう思いながら最後のページを開いた。 あっ! それに漆は見覚えがあった。翠を漆に、ノートをメールに置き換えればそれは雪からの初めてのメール。 最後の言葉は何なのだろう? 雪が泣いている! たしかあの時は「久しぶりに笑った」はず。
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「私。漆のこと、好きだよ。初めて話したのは、ヒッグ、漆だから。こんなことになるのは、グスッ、辛い」 ずるいよ。 漆はつぶやく。 これじゃ、私一人が本当に馬鹿みたいだ。 「私、漆も仲間に入ってもらいたくて。それで、だから、その」 わかったから。わかったから。雪。あなたのことは私が一番知っている。内気なところも、さりげなく気を使う優しさも。私だって雪のことが好きだ。 漆はトイレの鍵を開けた。
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…次の日。 漆は二冊のノートを手に、学校へ向かった。 教室のドアを開ける。いくつかの、様々な感情の籠った視線が、漆に突き刺さる。 それに抗するために、わざと大きな声で挨拶した。 「おはよう」 「おはよう、漆」 「…おはよう、漆ちゃん」 窓際の雪と、その隣にいた紫から、返事が返る。 漆は、二人の所へ歩いた。 訝しげな紫と真剣な雪の前に、漆は持参した二冊のノートを取り出してみせる。
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ひとつは表紙に彩草と書かれたあのノート。 そのノートをそっと紫に手渡す。 「…ほんと…ベタな事しか言えないけど…ごめん…ね」 涙ぐむ漆はもうひとつのノートを雪に手渡す それを見た雪は、ふと笑って一冊のノートを漆に手渡す。一言「久しぶりにね」と添えて。受け取って漆がにっこりと微笑む。 二冊のノートのには 漆と雪の初めてのメール、二人で作った少女が素敵な九人の仲間とであう話が綴られていた…
- 完 -