お前は何故此処にいる?? あの時俺が殺したはずなのに。 血潮で染まった身体で俺の前に立っていた。
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血潮に染まったその身体からは、黒に近い赤い血の雫が、こぼれ落ちている。女はピクリともせず、ただ立っている。 この女は、確かに俺が殺したはずだった。 しかしそれなら、目の前の女は誰だ。あの 時と同じ瞳で俺を見るこの女は。 俺は目を閉じて、記憶をたどった。 殺意とともに蘇る、脳内の記録…… あの日も、今日と同じように雨が降っていた。
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街は喧騒としたネオンに包まれていて、雨は霧と共に果てなく明かりを覆っていた。 もうろうとした虚無感に俺は自虐的な微笑みを浮かべると、その手にあったナイフを彼女へと突き刺した。 瞳孔が一気に開かれるのを茫然と見つめながら俺は音無き人の死に軽い甘さを感じていた。 こいつこそが、俺をここまでおとしめた女なんだ。 怨嗟の瞳に女は涙を浮かべながらその場にうずくまった。 翌日は報道が盛んだった。
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『ニュースをお伝えします。昨夜、東京都○○区で殺人事件が起きました。被害者の身元は未だ判明していません。凶器はナイフでした。尚、殺害方法が似ていることから、ここ最近多発している連続無差別殺害事件の同一犯として警察は捜査を進める方針です。』 俺は静かに笑った。 復讐。ただそれだけのこと。 俺と女は幼い頃から世間のゴミとして扱われた。 だから世間に復讐する。 しかし、道半ばで女が俺を裏切った。
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彼女には前科があった。 4年前に万引きをしてしまったのである。 それから少年院に行き、償い世の中へ復帰した。これからは真面目に生きよう。そう心の中に決めていた。同じ過ちを繰り返さないためにも。 だが世の中へ戻ることは容易ではなかった。 風あたりは思いのほか厳しいものだった。 しばらくして、世間からは〈世間のゴミ〉と言われるようになった。 それは働き始めてからも毎日誰からも言われ続けた。
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子供の頃から極貧だった俺達にとって、万引きなんてのは日常茶飯事だった。 4年前は運悪くあいつだけ捕まってしまったが、俺たちは運命のパートナーなのだ。 戻ってきた時の女は変だったが、周りに少し昔の噂を流してやるだけで正気に戻ってくれた。 女は世間へ復讐したいと言い、俺はそれに協力した。 「だがお前は、全てを俺のせいにして逃げた。何故だ! 俺は何もかもお前の為にやったんだ。そんな目で俺を見るな!」
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俺はポケットからナイフを取り出した。女を始め、数え切れないほどの人間の血を吸ったナイフだ。 お前が、そんな目で俺を見るなんて許さない。 裏切り者には制裁を。何度でも刺してやる。 だが何故か、指が強ばって柄がうまく握れなかった。雨の音が、やけに耳に響く。 「いつまで同じことを繰り返せば気が済むの?」 死んだはずの女が口を開いた。 「もうよそうよ、こんなの」 赤黒く染まった身体が近づいてくる。
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「近づくな!」 震える両手で無理やりナイフの柄を握り直す。あんな物は只の屍体だ、何を恐れることがある。 「俺は悪くない!お前が、世間が、俺を裏切りやがった!だから制裁を!」 「……そんなの建前に過ぎない。確かに私たちはゴミと呼ばれた。でもそれは、私たちが生きる為に盗みを繰り返していたから。私が裏切ったのは、貴方の目を覚まさせる為」 冷たい手が触れる。 「復讐に狂っていたのは、貴方だけ」
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落ちたナイフが間抜けな音を立てた。まだ降りしきっている雨は足元で血と混ざり模様を広げている。 女の声だけがやけに響いた。 「もう止めな。復讐でなく自分の為に──生きなよ」 気づけば雨は上がっていた。 あんなに血に染まった地面には水溜りができ、目障りな乱反射で俺の目を突き刺す。 「……ちきしょう…!ちきしょう!」 ポツリと手の甲にまた雨が降った。 血塗れの手に与えられたその温もりはもう遅過ぎた。
- 完 -